二.御座の力のありか

 われわれの貴い霊的祝福の一つである御座の力には、二つの場所がある。それは天上にあるが、そこにあるのはただキリストにあってである。「天上」もしくは文字通りには「天」という句が聖書の中に見つかるのは、ただエペソ人への手紙だけである。しかも五回だけである。すなわち、一・三、二〇、二・六、三・一〇、六・一二欄外である。「天上」という言葉の性格や広大さについて正確な見解を得たいなら、これらの節を比較することによって得られる複合的定義に注意しなければならない。

 最初の二つの御言葉から、キリストの現在の座である御父の座は天上の領域の中に含まれていることがわかる。

 一番目と三番目の節を一緒にすると、この同じ地位がわれわれに割り当てられていることがわかる。われわれはすでに王座に着いている居住者である。また、そこはわれわれが霊的祝福を受ける場所である。これはわれわれの御父の御旨であり、キリストとのわれわれの交わりを通して実現される。それゆえ、まことにわれわれの「国籍は天に」ある(ピリ三・二〇、改定訳)。

 四番目と五番目の節から、様々な階級や地位にある御使いの霊の群衆――良い御使いと悪い御使いの両方――が天上に住んでいること、あるいはそこに出入りしていることがわかる。彼らはわれわれの霊的経験の観察者である。悪い御使いたちは、信仰の戦いに従事するようわれわれを強いることによって、われわれの前進を妨げることを許されている。この見解は最初、まったくわれわれを落胆させるもののように思われるし、天上でわれわれに割り当てられている霊的祝福と矛盾するように思われる。なぜなら、われわれの中の誰が、これらの上位にある悪の存在と戦って成功を収めることを期待できるだろう?

 しかし、二番目の節とその文脈とを組み合わせることにより、天上にあるキリストの権威の座は無限に至高であることがわかる。この座は、これらの戦争中の主権者たちや権力者たちの知恵と力を全て合わせたものよりも「遥かに高い」。そして必要とあらば、キリストは全くわれわれのために、彼らに対してその権威を行使して下さる。この考察から、次のことがわかる。すなわち、われわれが持っている御座の特権は、ただ天上にあるだけではないのである。そこには邪悪な御使いたちもいて、できるものなら、われわれがこれらの特権を享受するのを妨げようと悪意を抱いている。しかし、次のこともわかる。すなわち、われわれの特権は、さらに先のいっそう高い場所にあるのである。つまり、イエス・キリストの中にあるのである。したがって、悪の及ばない所にあって安全なのである。われわれに割り当てられている住まいは、天上の最も高い領域の中にあり、悪霊どもに許されている活動範囲の彼方にある。この住まいに向かって、それゆえ信仰は大胆かつ喜んで飛翔するべきである。


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