五.悪魔の支配からの解放 ヘブ二・一四

 キリストの地上生涯全体を通して、悪魔は十字架に至る道から彼を逸らそうとした。誘惑、脅し、狡猾さにより、待機しつつ――考えうるあらゆる手段によって、彼は自分の人類支配を保ち、キリストに対する支配を獲得しようとした。しかし、努力はみな失敗に終わり、十字架においてキリストは勝利を達成された。その勝利により、地獄の全軍勢は完全に根こそぎにされた。彼はわれわれのためにこの勝利を勝ち取って下さった。そして、われわれが信仰により死・復活における彼との合一の中に入る時、彼は必要に応じてそれをわれわれに分け与えて下さる。

 悪魔の諸々の策略が神の御言葉の中に明確に啓示されている。それをここに列挙する必要はないだろう。われわれが今強調したいのは、十字架においてその各々あるいは全てから解放されるということである。旧約聖書のこの型の幾つかに注意せよ――例えば、ダゴンの宮から勝利のうちに出て来た契約の箱、海の深淵と大魚の腹から出て来たヨナ、炎の中から無傷で出て来た子供たち等である。

六.悪魔の諸々の働きからの解放 一ヨハ三・八

 これらは人と神との間の、人と人との間の間違った関係と定義することができる。体の渇望、魂における反逆、霊の盲目さ、それらから生じる人生の恐るべき混乱はみな、十字架の和解によって無に帰される。「この目的のために神の御子が現されました。それは悪魔の諸々の働きを無に帰す(ギリシャ語)ためです」。もしわれわれが自分たちに影響を及ぼすものをそのまま彼のところに持って行き、自分が混乱させる働きに与っていることを告白するなら、彼はすべてを真っすぐにして御自身の栄光へと導いて下さる。そしてあらゆる点でわれわれを解放して、われわれの混乱した生活を彼の完全な生活へと正して下さる。罪はわれわれを不意打ちにしてきたが、そのように彼を不意打ちにしたことは一度もない。十字架がそれらをみな効果的に対処してくれた。それゆえ、彼にそれらを取り扱ってもらおうではないか。

七.利己的な奉仕から無私の奉仕への解放 二コリ五・一五

 十字架と、その根底に横たわる愛の偉大さと卓越した無私の心についての一つのビジョンが、パウロを宗教的頑固者から自己犠牲の宣教士へと変えた。このビジョンの効果の頂点が、「私は、私の兄弟たちのためなら、自分自身が呪われて、キリストから離されても構いません」(ロマ九・三)という言葉で表現されている。十字架の深い意義を見た者はみな、主イエスの生涯において現わされた聖なる情熱を分与されて一変してしまうため、もはや自分自身のためではなく、「私たちのために死んでよみがえった方」のために生きるようになるのである。


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