祭壇

 この幻はまだ完結していません。そこに十字架、祭壇があります。そして祭壇の上に二つのものがあります。清めのための血があり、また火があります。ここでは血と御霊が共に働いています。何のためでしょう?神の栄光に対する妨げを全て取り除くために他なりません。三節の句がこの問題全体への鍵であることを、あなたは御存知だと思います。私たちの翻訳では「全地は彼の栄光に満ちている」というように述べています。しかし、これはヘブル語の完全な翻訳ではありません。ヘブル語のさらに正確な訳は「全地の豊満は彼の栄光です」となります。さて、時間を費やしてこれを説明したり、その違いを指摘するつもりはありません。しかし、ここに私は鍵を見ます。目標は彼の栄光です。彼の栄光が問題であり、全地は彼の栄光で満ちています。これが目標であり、したがって、十字架、貴い血が入って来て、この栄光の道の中にある邪魔ものをすべて取り除かなければなりません。神に栄光を帰しえないものを取り除かなければなりません。十字架は神の栄光に対して中心的地位を占めています。強力な火は、それに近づくとき、この血を有効なものとするだけでなく、神の召しに応じることを可能にして強めます。これは彼をこの次の点へと導きます。主御自身、御座、人、十字架、御霊の炎を持つとき、あなたは次に御声を持ちます。

御声

 御声はこれから生じるものです。それは宮の中の御声、神の家の中の御声であることに気付きます。十字架と血が御霊の力の中で清めの働きを為す時、神は彼の家の中で語られます。主が御自分の地位と権利を得る時、彼の御声を聞いて任務を受けられるようになります。これこそ私たちがそうなることを願っていることであり、近頃の大問題の一つです。十字架の働きの適用を受けて、主が御自分の地位を得られた時、私たちは御声がその家の中で、「誰が私たちのために行くでしょう?」と言うのを聞きます。この問いは宙ぶらりんになっていました。それは「あなたは行きますか?」という問いではなく、イザヤに対する問いかけではありませんでした。主は御自身の召しに対する自発的な無条件の応答を望んでおられました。だから、「誰が?」と仰せられたのです。

 愛する人よ、自分自身に関して決着をつけようではありませんか。以下の他のすべての問題に決着をつけない限り、主は私たちの応答を受け入れて「この民のところに行きなさい」と仰せられることは決してないのです。その問題とは――主御自身、その至高の目的、御座との関係の確立、人が全く砕かれて空にされること、自己の自信・保証・権益をすべて空にすること、人を空にすること、十字架の働き、栄光の道の中にある邪魔ものをすべて取り除くこと、力づける御霊の働きです――その時はじめて、主は御自分の召しに対する応答に耳を傾けることができるようになります。

 さて、これは祈るべきことではないでしょうか?これはみな、万事の背景であり、輝かしい結末に至ります。私たちがなすべきは、「どうかこれが私たちにも実現しますように」と日毎に求めることです。ケルビムやセラフィムでさえ彼の前で顔を伏せるからには、私たちはなおさらそうしてしかるべきです。


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