教会における神の諸々の特徴の実際的表れ

 さて、これが教会のまさに中心に据えられています。ですから、再びコリント人への第一の手紙を見て下さい。男と女、そして教会における各自の地位について述べられていることは、すべてご存じでしょう。この天的関係がキリストの増し加わりのために確立されるなら、貧困ではなく途方もない豊かさという結果になるでしょう。教会における女性の地位は何でしょう?キリストのこの側面――それは常に恵み深く、同情に満ちており、助けになる側面です――を表すことです。女性は抑圧されるべきである、と思われるでしょうか?私はそうは思いません。神の御言葉がそう教えているとは私は思いません。それは命へと至る秩序と地位の問題です。もしこれをごく普通の、一般的な、日常の、人間的な言葉で述べるなら、これをこう述べるべきでしょう。「男がそこにいるのはキリストの権威を代表するためですが、服従せずにその権威を行使することはできません」。さもないと何が起きるでしょう?男が神の家の中で君主になってしまいます。使徒が「神の遺産を牛耳る」と述べていることをしてしまいます。男に必要なのは、服従を示す女が同伴して、こう述べることです。「まあ、愛する人よ、優しくして下さい。あのような強引さ、あのようなおせっかいで、神の権益に損害を与えないで下さい、傷つけないで下さい。主によって耐え忍ぶ必要があることを思い出して下さい」。服従の原理が働いているのがお分かりでしょうか?この二人は切り離せません。主は二人共必要とされます。私は信じていますが、主が教会の中にこのような関係を示されたのは益のためであって損失のためではありません。増し加わりのためであって、貧しくするためではありません。キリストの服従というこの原則にしたがって、この親切さ、この優しさ、細やかな感情に対するこの配慮――それは統治の荒っぽさを和らげるものです――が常に維持されるようにするためです。ああ、もしそうするよう召されるなら、私たちは男として、自分自身もまた神のあわれみを大いに必要とすることを常に覚えつつ、治めなければなりませんし、権威を用いなければなりません。「兄弟たちよ、もしある人が過ちに陥ったなら、霊の人であるあなたたちは、そのような人を柔和の霊の中で回復しなさい。自分も誘惑されないよう気を付けなさい」(ガラ六・一)。この御言葉の中に女の声が聞こえるでしょうか?これはキリストの一つの面であって、正しく治めるのに必要なものです。


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