権威と服従の神聖な諸々の特徴

 キリストのからだである教会には二つの主要な面があります。その第一は権威であり、第二は服従です。これが主に教会を原則的に支配している二つの事柄です。

 さて、機知と狡猾さと悪巧みによって自分の兄を出し抜いた時、ヤコブは権威、優れた地位を求めていました。彼は弟なのに兄より優位に立とうとしていました。さて、神がこれを定められたのであり、ヤコブは狡猾さや機知等を用いる必要はありませんでした。ヤコブが神に信頼していれば、神がこれを引き受けて下さったでしょう。それにもかかわらず、権威と優位性を得ることを彼は気にかけていました。二十年間の道のりで彼が学ばなければなかったのは、権威に至る道は従順であるということでした。神の家であるベテルの皇子であるヤコブにとって、この二つ――権威と服従――は同行します。この二つを分けることはできませんし、分けてはなりません。神がこの二つを組み合わされたのです。権威は服従によります。服従は権威に至ります。それに加えて私は信じていますが、神はこれを示すとても麗しい方法を選ばれました。

 神がこれを(偉大な教会書簡であるエペソ書でパウロが私たちに述べているように)エデンの園が始まった時に開始されました――「男と女を神は造られた」。夫と妻、男と女です。これが教会の第一の原則であることを、あなたはこれまで認識したことがあるでしょうか?これを天まで、神の御旨と御心まで辿るなら、神の目的は教会であることが分かるでしょう。キリストとその肢体である教会、夫である御方とその妻、花婿である御方とその花嫁であることがわかるでしょう。諸々の関係、夫と妻というこの人間関係は、ですから、神の御旨においては、地上の人々の間の単なる個人的な個別の関係よりも遥かに偉大なものと関係しているのです。これはキリストと教会という大いなる崇高な観念を示すものに他なりませんし、その目的はこれを示すことです。キリストと教会を支配する二つの支配的原則は権威と服従です。教会はどのようにして統治するようになるのでしょう?キリストに服従することによってです。かしらであるキリストはどのようにして統治するようになったのでしょう?御父に服従することによってです。権威と服従は不可分です。これは天で確立された二重の法則です。男と女のこの二者は、神から見てどちらもとても神聖なものであり、そのどちらも入れ替わってはなりません。もし入れ替わるなら、神聖な天の秩序を覆すことになります。この二人がそこにいるのはとても聖いもの、とても神聖なものを示すためです。


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