神の秩序の一部である天的性質

 次に、天的性質は単なる何か抽象的な類のものではなく、物事の秩序、天的秩序の一部として現れることがわかります。秩序立った生活、秩序立った関係、天的秩序にしたがったあらゆるものの一部として現れるのです。次に見る必要があるのは、完全な神の秩序がいかなるものかということです。これについて黙想し、熟慮するよう、私はあなたにお勧めします。

 愛する人よ、今はかなり多くのものが矯正的であることがわかります。これは混乱と無秩序のせいです。最初、麗しい神聖な秩序がありました。どの領域、どの方面にも秩序がありました。すべてがあるべき所にあり、正しい関係を保って、完全な秩序のうちに機能していました。摩擦、矛盾、不安、圧迫は全くなく、すべてが安息に満ちていました。神は、はなはだ良い、と宣言されました。当時、神の標準に照らしてそう言えたからには、そのような秩序は大いに良いものであるにちがいありません。神の標準は私たちの標準より遥かに高いからです。摩擦や矛盾、圧迫や緊張のない秩序をある程度得るとき、「自分は何かとても良いものを得た」と私たちは感じるようになります。しかし、ああ、神の標準は何と高いことか!神があるものについて、「はなはだ良い」と言われる時、それは本当に良いに違いありません。

 しかし、次に混乱が生じました。すべてが無秩序になり、神の宇宙の調和は破壊されました。圧迫、戦いが生じて、もはや安息はありません。そしてその時以来、無秩序と混乱というこの要素が状況を支配し続けています。神の秩序がこの世界に回復されることは決してありませんでした。無秩序が至る所にあります。混乱が至る所にあり、あらゆるものの内にあります。諸々の要素の中にあります。人類の中にあります。あらゆる関係の中にあります。至る所にあります。そして今、神に関する限り、この混乱のせいで、すべてが矯正の過程の中にあります。

 まず第一に、この無秩序、この混乱は、人自身の中にあります。人はもはや調和しておらず、一つのまとまりでもありません。人はみな無秩序の中にあります。次に、この無秩序は人間関係の中に見られます。人間関係はみな、無秩序で転倒しています。次に、人が造ったこの世の中にもあります。人はこの世を造って、今の秩序を設けました。それは神の観点では無秩序です。この世の至る所に無秩序があります。これがどれほど正しいのかを示し続ける必要はありません。この世の至る所に、神ではないもの、神の意図ではないものが見つかります。秩序はなくなって、もはや見あたりません。


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