しかし次に、ラケルはレアにできたことができませんでした。前に述べたように、レアの場合、家族がごく自然に生じて、これはたやすいことでした。しかし、ラケルの場合は大違いでした。結局、何と失望したことか!天然的な言い方をすると、実を得るのは不可能でした。しかし、ああ、神の主権は何と素晴らしいことか!神の主権が天然の事柄によって聖書の中に何と頻繁に示されていることか。この特定の事柄ではなおさらです。サラ、ハンナ、他の人々の事例から、これがわかります。ここではラケルからこれがわかります。最終的にラケルは子供たちを持ちますが、この子供たちは神の介入の結果です。彼らは特別な意味で神からのものであり、神の働きによります。神が御自分の原則を何と厳密に保たれるのかがわかります。真の奉仕、真の子たる身分は、天然から豊かに実を結ぶことは決してできないのです。天然の命は霊的な実、神に至る実を何も結ぶことができません。真に霊的な実であり、霊的な奉仕であるのは、神から発するものだけです。パウロがガラテヤ人への彼の手紙で述べたことを、あなたは覚えておられるでしょう。「私の小さな子供たちよ、あなたたちの内にキリストが形造られるまで、私は再び産みの苦しみをしています」(ガラ四・一九)。このガラテヤ人たちは主の子供であり、パウロはこう言えたかもしれません、「よろしい、あなたたちは主の子供です。あなたたちは救われています。それで結構です。残念なことに、あなたたちの歩みを傷つけるこうした悲しいものがあります。そんなものがなければよかったのに。しかしそれでも、あなたたちは主のものであり、それで結構です」。ああ、これではだめです!それではあまりにもレア的であり、あまりにも安易です。それ以上のものが必要であり、御霊から発したそれ以上のものが必要です(お分かりのように、これがガラテヤ人への手紙の基調です)。パウロは言います、「……あなたたちの内にキリストが完全に形造られるまで、私は再び産みの苦しみをしています」。これが御民に対する神の御旨です。ですから、この偉大なイスラエル人であるパウロ――最も完全かつ高尚な意味そう言えます――がこう述べているのを、私たちはまたもや見いだします、「私は、あなたたちのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだである教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、私の肉体で補っています」(コロ一・二四)。キリストの教会のためにキリストの苦しみにあずかること――これが奉仕であり、これが子たる身分です。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ


コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ