主イエスはエホバの真の子であり、僕です。彼の内に子たる身分の真の霊があり、彼の内に奉仕の真の霊があります。この主イエスは、たとえその中に良い点がたくさんあったとしても、外面的・形式的・天然的なものにすぎない教会に決して満足できません。彼がアジアの七つの教会を御覧になった時、ヤコブがレアについて言えたのと同じように、「たしかに、とても良い点もありますし、とても素晴らしい点もあります」と言うことができました。しかし、ヤコブのように、彼はさらに言われました、「私はこれに満足できません。これは私の心に応えるものではなく、私の霊にかなうものでもありません。私が労苦してきたのはこのためではありません。私を心の底から真に満足させるには、それ以上のものが必要です。何が適切であり、何が正しく、何が神の御思いにかなっているのかに関する内側の最も深い感覚を真に満足させるには、それ以上のものが必要です」。こういうわけで、善は最善のために下位に置かれなければなりません。奉仕の霊は、教会、妻、花嫁に関する神の全き御旨に、常に傾注します。そして、それ以外のものでは決して満足できません。子たる身分はこのような方法で働きます。これ以外の方法でそれがどのように生じるのか、私にはわかりません。私は確信していますが、もし私たちの誰かがこの問題に関して小さな特別集会を開いて、「さあ、教会に関する神の全き御旨に専念することにしてはどうでしょう?」と言うなら、これについて既に述べたように、私たちはこう言わなければならないでしょう、「これは教会の性質に関する一連のメッセージを聞いたからではありませんし、それについて聖書の中に何かを見いだしたからでもありません。そうではなく、どういうわけか、自分の心の中のどこかに、この問題を気遣う神聖な感覚が生じたのです」。これは御霊に属する事柄であり、私たちは多くの逆境のただ中で懸命に労苦しなければなりません。うんざりするほどの逆境、反対、疑いが、神から生まれたもの以外のものをすべて消し去ったとしてもです。もしこれが私たちの内におられる神からのものでなかったなら、そして、自分がこの問題を握っているのではなく、これが私たちを握っているのであることを、もし私たちが理解していなかったなら、この道の困難さのゆえに、私たちはとうの昔にこの問題を放棄していたでしょう。私たちが何かを取り上げたのではなく、神がこの問題の中に私たちを置かれたのです。私たちに何ができるでしょう?代価、苦難を目の前にして、私たちは主の民の間の現状に満足できるでしょうか?断じてできません!私たちは労苦し続けなければなりません。

 愛する人よ、これが子たる身分の霊、奉仕の霊であると私は信じます。神の働きが私たちの内で深まるほど、私たちが教会のために苦しむほど、ますます私たちは主の民の間の現状に満足していられなくなることがわかります。ですから、ラケルは苦難、御霊の苦難の結果でした。


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