遅延や一見矛盾のように見えるものを神は用いられる

 さて、第三に、アブラハムの事例では、一見死の道のように見えるものに沿って命が働いていることがわかります。この一見死の道のように見えることには二つの意味があります。すなわち、遅延という神の道と、矛盾という神の道です。神はアブラハムに息子を約束されましたが、約束して立ち去ってしまい、この問題を何年も放っておかれました。約束の成就が遅れたことは、神を信じる信仰の深化に役立ちました。そして、アブラハムの生涯に神からのものが桁外れに増し加わる道を備えました。遅れが長引けば長引くほど、希望の成就はますます神からでなければならなくなり、人にはますます不可能になります。これが目的です。私たちが好もうが好むまいが、神はこのような方法で働かれます。私たちがこの目的を大切にしようがしまいが、これは本当です。神が実際に命の法則に従って働いておられる時、私たちは信仰のこの領域の中にもたらされなければなりません。この領域では、神の約束さえも差し止められていて、すぐには成就しないように思われます。神は真実です。神は人に借りを作りません。最終的に、神に借り方はなくなります。これは決着済みです。神は、御自分に対する適切で正当な期待にすべて応えて下さいます。そして最終的に――たとえそれが長く待った末のことだとしても――神の正しさと神の信実さが不可抗力的に証明されます。私たちはみな次のような態度を取ることが許されています。「主よ、私が長く待った末にあなたの御前に立つ時、『あなたは私の信頼を裏切った』とあなたの帳簿に繰り込みうる根拠を、あなたはすべて清算して下さらなければなりません」。このような立場に立つことが神にとって大切です。かの日、神に信頼した者たちが、「主よ、あなたは一つたりとも期待を裏切らず、私が正当に望みうること、キリストにあって正当に望みうること以上のことをして下さいました」と言うようになることを、まさに神の性質と性格は要求します。神はこの目標を達成して下さいます。しかし、命を深め、命を強め、神の似姿を生み出し、死の力とサタンの働きを滅ぼし、アダムの過ちを逆転させるために、神は私たちの信仰――御自分の約束に対する信仰さえも――伸長しなければなりません。神はそうなさいます。それが成長のしるしであり、成熟のしるしです。遅延という神の務めはこのようなものです。

 次に、さらに、矛盾という神の務めがあります。ようやく息子が与えられました。しかし、次に何が起きたでしょう――「あなたの息子を取って(中略)私に献げなさい……」。矛盾です。神は与え、そして取り去られます。成就することを約束しておきながら、その後、それを一撃で拭い去るかのように思われます。さて、これは何を意味するのでしょう?その真意は何でしょう?私が思うに、愛する人よ、この箇所の核心は、神は常に御自身のものにしようとされる、ということです。心は神に向かうべきであって物事に向いてはならないのです。たとえ約束の成就が遅れたとしても、神は、私たちのためになされる御業よりも神ご自身を求める境地に、心を引き寄せようとしておられます。もし矛盾というこの務めの下にあるなら、その目的は私たちを物事から引き離して神ご自身のものにすることです。


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