心を試すこと

 さて、アブラハムの第二の問題は、この地上における、神の事柄に関する野心の問題です。この問題は私たちを看破します。遂にアブラハムは先に進みました。諸々の関係に関する限り、天然の影響は少なくなりました。そして、彼は進み続けて約束の地の中に入りました。大願が成就しました。そのために彼はすべてを手放し、このことのために彼は信仰によって踏み出したのです。彼は約束の地の中に入りました。それは彼が期待を寄せていたものであり、彼の新たな野心でした。それで彼は何を見い出したのでしょう?神の御心とは正反対のもので満ちている土地です。その地の酷い飢饉です。小さな区画すら彼に与える人は誰もいませんでした。彼はその地に足場が一つもありませんでした。私はあなたたちに言いたいのですが、このような経験は私たちの野心に対するとても良い試練です。神と共に進み続ける時、神のために出かける時、私たちは何を期待しているでしょう?何が目的でしょう?さて、この質問に対する答えが、神に関して、この地上のものに対して私たちが野心を抱いているか否かを決めます。要点がお分かりでしょうか?天然的な野心を霊的な目標に差し替えるおそれがあることが分かります。依然として同じものが働いており、唯一の違いはその方向や領域です。この世で野心を抱くのと同じように、神の働きにおいても野心を抱くおそれがあります。これは同じ天然的な野心です。それは天然の野心です。あなたが願いを持つとき――あなたは何を願っているのでしょう?見ること、得ること、地位を得ることでしょうか?成功を求める野心――確かに、それはかつてはこの世でのことでしたが、今やこの同じ野心が別のものに移りました。仮にアブラハムの場合もそうだったとすると、それは何という試練だったことでしょう!それは野心に対する試練でした。彼は何も得ませんでした。その地には足の置き場すらありませんでした。あちこち移動して、幕屋の中に住まなければなりませんでした。その地に関する限り、彼の信仰に対する即座の目に見える応答は何もありませんでした。この試練の下で彼は挫折しました。彼はエジプトに下りました。彼がエジプトに下ったことにはいかなる意味があるのでしょう?期待です!彼は神の御手に何か別のものを期待したのです。この命は信仰の命であること、そして、この命が内側深くに造り込まれれば造り込まれるほど、神の事柄においてさえも天然を喜ばせようとはしなくなることを、彼は教わらなければなりませんでした。


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