新生によって神の子供の内にあるこの神聖な命は神の命であり、それ以外の何物でもありません。この命を他の何物とも関わらせることはできません。これが他の物と共に働くことはありません。これが働くのはただ神と関係があるときだけです。神の御思い、神の御心、神の御旨と関係があるときだけです。この命は神の完全な御旨に私たちをもたらします。そうである以上、この命は全く神のためでなければならず、それ以外の関係はすべて引き下がらなければなりません。この命をそれ以外の関係に中にもたらしてはなりません。この命は単なる抽象的なものではないことがわかります。この命はキリスト・イエスの中にあり、聖霊の御手の中にあります。確かに、これらを分離することはできません。この命をこのパースンから、この神聖なパースンから分けることはできません。キリストは命であり、聖霊は命の霊です。ですから、この命を扱うことは聖霊を扱うことであり、キリスト・イエスを扱うことでもあります。そしてこれは、神のまさに本質であるこの命には、独自の特徴、独自の形体、独自の意義、独自の標準、独自の目的があることを意味します。この命には独自の気質、独自の理屈、独自の方法があります。この命は、それ自身の方法、それ自身の意義、それ自身の気質を持つものであり、そのようなものは他にありません。この命は自分の道を行きます。他の方法、他の気質はみな、確かに別物であり、全くの別物です。これらのものの間に行き来はありません。「私の思いはあなたたちの思いとは異なり、あなたたちの道は私の道とは異なる」と神が言われる時、天と地が隔たっているように、あなたたちの道や思いは私の道や思いから隔たっている、と神が言われる時、それは、「私の命は、その気質、判断、理屈、特徴、性質があなたたちとは全く異なるものであり、あらゆる点で異なる、全くの別物なのです」の別の言い方に他なりません。

 では、その効果は何でしょう?これは、それは天然から出たいかなるものとも共存したり交わりを持ったりすることはできないことを意味します。それは私たちのこの別の命、私たちのこの性質といかなる交わりも持つことはできません。天然の命は神の命の友になりえず、神の命は天然の命の友になりえません。これらは二つの別世界の中にあります。人の天然の命、魂の命はサタン的要素と関係しており、神の命は神的要素と関係しています。これらの命は二つの全く別の王国です。さて、この神の命はそれ自身の道とそれ自身の関係を要求します。この神の命は全く神から出ているものを要求します。「あなたの国、あなたの親族、あなたの父の家」という句に、私は天然的関係や天然的影響を示唆するものを見ます。神は私たちの内にある御自身の命があるところにそのようなものを許すことはできません。パウロは、「神が御子を私の内に啓示することをよしとされた時(中略)ただちに私は血肉にはかることなく」(ガラ一・一六)と言いました。それは神の事柄に関する人の影響や天然の影響だったことでしょう。これがこの箇所の原則です。天然に関する限り、神と共なるこの命は全く独立していなければなりません。


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