さて、ノアのもとに来る時、私たちは普遍的死の状況を見ます。死が視界のほとんどを占めます。それにもかかわらず、ノアの事例を支配しているのは積極面です。これを悟ることがとても大切です。ノアの場合、全てが水の中に沈んだにもかかわらず、最も重要なのは死の面ではありません。ノアの場合、支配的なのは命の面、積極面です。

 ペテロが述べていることを再び示すことにしましょう。

「ノアの時代に箱船が用意されつつあった時、神は忍耐して待っておられました。その箱船に乗り込み、水によって救われたのは、わずかに八名でした。この水はバプテスマを象徴するものであって、今や私たちをも救うのです。それは、イエス・キリストの復活によるものであって、肉の汚れを除くことではなく、神に対する良い良心の応答です。」


 これは積極面、命の面であることがわかります。これはすべてあるもの、つまり、復活、命を見せています。復活、命は、古いアダムの天然の命、魂の命を拒否した時だけ存在しえます。これがノアの証しの一つの面です。神は常に積極的な道筋の上で最終的に働かれます。神は「すべての肉が滅びる時が来た。(中略)私は彼らを地と共に滅ぼす」と恐るべきことを仰せられる一方で、それでおしまいにすることが神の御旨ではありません。神は積極的な道筋の上で働いておられます。神は、当初の御旨に応答するものを確保するために、再活動されます。神は御旨を放棄して、「私は意図したように行うことが全くできない。人のせいで、私が心に定めたことを成し遂げるのは不可能である。私は敗北し、望み無き状態にある。私はすべてを一掃して、やりなおそう」と仰せになりません。神は決してこのような方ではありません。地を清めるためにいかなる手段に訴えたとしても、神は別の何かのために地を清めておられるにすぎません。神は積極的な目標をもって活動しておられ、再活動しておられます。さもなければ、神は何度も何度も敗北することになります。望みなき無力な神は歴史を通して無益な試みをしてきたのであり、この宇宙で最大の失敗はイエス・キリストの死だったことになってしまいます!しかし、主イエスの死はこの宇宙で最大の神の勝利だったことを私たちは知っています。主イエスの死は新創造のために地を清めました。神は常に積極的な道筋の上で働いておられます。しかし、神が拒否されたものを拒否しない限り、積極面に至ることは決して出来ず、命に至ることも決してできません。神は、人を支配するものとしての天然の命、人の魂の命を拒否されました。これはどうしてでしょう?前に見たように、アダムの違反と堕落以降、人の天然の命、魂の命は偽りの命だからです。カインによってこれは大いに明らかにされています。


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