照らしの必要性

 しかし、理解力は照らされなければなりません――「あなたたちの心の目が照らされて」――理解力は照らされなければなりません。それはカインの道――それは魂の道であり、たとえ神に対して熱心で、神を認めていたとしても、魂は依然としてすべてを自分に引き寄せます――の代わりに、霊にある命が生じるようになるためです。カインはそうであることを認めようとしなかったでしょう。魂の命は、すべてを自分自身に集めていることを認めようとしなかったでしょう。誰にとっても、これを受け入れるのは極めて難しいことです。しかし、これが魂の性質です。霊はその正反対です。霊――すなわち新しくされた霊――は常に神に向かいます。主イエスはその魂を死に至るまで注ぎ出して、その霊を神にお委ねになりました。

 これは黙想の新たな領域に触れます。そのようなものである魂の命は下位になり、霊の命が上位にならなければなりません。魂の命が支配する限り、そこには死があります。感情、感興、嘆願、活動がたくさんあるかもしれませんが、その結末は死です。霊的な命、霊の命が支配する限り、そこには命があり、「キリスト・イエスにある命の霊の法則」があります。

 さて、この言葉を詳しく述べたその仕方や方法には煩わされずに、「結論を理解できるようにして下さい」と主に求めて下さい。この命を持つ者として、私は二つのことを自覚しています。内側に戦いが生じるのは、この命の必然的結果です。この戦いの性質を私はもっと知らなければなりません。私の理解力が照らされる時、これは魂の側につく私自身と霊の側につく私自身との間の戦いであることがわかります。これは私自身の魂と私の内にある神からのものとの間の戦いです。これは自ら分かれ争う家であり、立つことはできません。遅かれ早かれつぶれる運命にあり、私たちはこのように分裂した家がつぶれるのを至る所で目にしています。これは神の御旨ではありません。脱出の道があります。主の御旨なら、後でその道が何かを見ることにします。しかし、ここでその事実が分かります。御霊の中を歩くこと、御霊によって歩くこと、事物ではなく神を自分の命とすること、自分自身から行動しないことが出来るよう、神に求めようではありませんか。なぜなら、この天然の命は偽りの命であり、欺かれているがゆえに欺くものだからです。しかし、御霊の命は真実であり、命である御方は真実です。御霊は命ですから、御霊は光でもあります。御霊は光ですから、御霊は命です。

 この意味を明らかにしてくれるよう主に求めましょう。


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