こう言ったからといって、一瞬たりとも誰も勘違いしないで下さい。霊の水準――そこではすべてが神から発し、自分自身からのものは何もありません――に生きる時、決して何もしなくなるわけではありません。全く何の働きも、何の活動もなくなる、と多くの人々が考えています。唯一の違いは活動の種類です。活動が減るのではなく、別の活動をするようになるのです。それは別の活動であり、その結果、神のために自分で推進した活動全体よりも遥かに大きな益が生じます。隠れた深い所で、全てが自己ではなく神に向かっていなければなりません。自己がどれほど深く自分自身の魂の中に根ざしているのか、私たちは知りません。それが幾らか分かるようになるのは、私たちがもはや行動できなくなる時、神が私たちの上に御手を置き、「一ヶ月か二ヶ月、行動するのをやめなさい」と言って、私たちに活動をやめさせる時です。その時、私たちの行動の中に自己満足がどれほど多く存在していたのかを私たちは見いだし、活動の停止と共に、私たちはもはや満足しなくなります。私たちは自分の満足を失い、その代わりになるものは何もありません。主がしようとしておられるのは、物事や行為に関する私たちの満足を取り去って、御自身が私たちの満足となることです。私たちが行動していても行動していなくても、たとえ私たちに出来ることが何もなくても、私たちには主があるので満足です。これがこの件全体の最重要点であると私は完全に確信しています。私たちに満足を与えるのは主御自身であって、私たちの働きではありませんし、その座や源が私たち自身の魂の中にある何物でもありません。私たちには主があるので満足です。この境地に絶対的に達している人が私たちの中に一人でもいるでしょうか?いません。私たちは依然として忍耐して、自分自身の魂を勝ち取らなければなりません。神が唯一の満足となるいっそう高い境地に、私たちの魂は依然としてもたらされなければなりません。多くの苦い涙を通して、私たちはその境地に達するかもしれません。しかし、この境地に達する時、涙は拭い去られます。涙はどこかに到達しようとすることと関係していることがわかります。到達する時、涙は全くなくなります。「神がすべての涙を拭い去るには、とても大きなハンカチが必要ね」と言った少女は、涙を拭い去る方法に関して間違った考えを抱いていたのです。涙は諸々の過程と関係しており、涙が拭い去られるのは到達した結果に他なりません。涙は過ぎ去ります。「忍耐によって、あなたたちは自分の魂を勝ち取ります」。


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