神の命は御霊による歩みを要求する

 ここで、これまで述べてきたことを一句か二句に要約しなければなりません。ここでこれまで扱ってきた基本的問題のこの側面は、命の法則は肉や私たち自身の魂による歩みではなく、霊による歩みを要求するということです。それが要求するのは私たちの霊における神との天的合一であって、私たちの考えに従った魂的な宗教生活ではありません。これがカインとアベルの違いです。ああ、確かにカインは宗教的な人であり、礼拝者であり、それ自身の領域では良い貴重で高価なものを持ってきました。カインは神を礼拝すべきことを認めて、自分なりの方法で熱心でした。しかし、彼の理解力はくらまされており、私たちの魂の理解力も同様です。私たちは生来、神の御思いを知りません。「生まれながらの(魂的な)人は神の御霊に属する事柄を受け入れませんし(中略)それを知ることもできません。それらは霊的に識別すべきものだからです」(一コリ二・一四)。こういうわけでカインは、その熱心さ、礼拝、信心、神認識にもかかわらず、依然としてくらまされた理解力の暗闇の中にありました。彼の判断はすべて的外れで、彼の考えはすべて間違っていました。彼は的を外していて、祭壇上で受け入れられたものは何もありませんでした。神はカインの供え物を尊重されませんでした。ユダヤ人はこの立場に立ちました。そして、その証拠として、カインが殺人を犯したようにユダヤ人も殺人を犯しました。これを証明するには、魂的な礼拝者たちの礼拝、霊的でない宗教的人々の礼拝に異議を唱えてみなさい。そうするなら、何かが燃え上がるのが分かるでしょう。彼らはそれに対する干渉、異議、接触に耐えられません。真の礼拝者、霊と真理の中で礼拝する者たちには、何でも自分が思うことを言ったりしたりすることができます。そうしても、殺人の霊やそれに似たものが生じることはないことが分かります。アベルのように、そのような人は自分の命を放棄します。礼拝者、宗教的な人々の手にかかって命を捨てることすらあります。これがここに示されている魂的な人と霊的な人の違いです。


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