アダムにおける神の御旨

 アダムとキリストが最初から居て全ての時代を支配していることを最初に述べなければなりません。アダムは来たるべき方の絵図である、と述べられています。アダムはいわば影でした。背後から輝く永遠の光と共に、キリスト・イエスがどこかに立っておられました。そしてこの実際と影は、すべての時代を神の御旨について支配するために、すべての時代を見下ろしていました。

 キリスト・イエスにある命の霊の法則は、創世記では「命の木」によって表されています。アダムは命の道を示すはずでした。もしアダムが神の御旨の道の代わりに別の道を選んでいなければ、アダムは命がいかに働くのか、命の法則がいかに働くのか、そして、この法則の働きにより、神はいかにして御旨に達するのかを示していたでしょう。絶えず常に生き生きと、ある定まった法則の働きによる命の道を示していたでしょう。しかし、アダムは失敗しました。彼はこの法則の代表者、化身となるべき者でした。しかし、この命の道は失敗し、彼は今や死の道の代表者となっています。しかし、今や最後のアダムとして知られているキリストが中に踏み込んで、御自身がこの命の法則の化身となられました。彼は命の道を表明されます。彼はアダムが成就しそこなったことを成就して、命の小径によって神の御旨を達成されます。

 さて、初歩的なことをすべて述べたので、この命の法則の七重の表現の最初の人であるアダムから始めることにします。しかしもちろん、私たちは今アダムを反対方向から考えて、命とは何であるのか、命の法則とは何であるのかを、アダムの場合その反対のものがどのように働いているのかを黙想することによって学ばなければなりません。私たちは消極的なものを通して積極的なものに、偽りによって真実に導かれます。

 命または死の始まりを理解するために、アダムとキリストの誘惑の性質を悟らなければなりません。なぜなら、これらの誘惑に何か一つ真実な点があるとするなら、それは、命と死、死と命の問題が丸ごとこれにかかっており、それ以外の何物でもない、ということだからです。ですから、数分の間、これらの誘惑について新たに考えなければなりません。キリストの誘惑について理解するために、アダムの誘惑について考えることにします。


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