パウロはコリント人の教会に書き送るにあたって、主イエスの流された血と裂かれた体とを明確にはっきりと区別した。コリント人たちは主の晩餐を祝うことに関して重大な誤りの中にあった。彼らは疑いもなく過度に食べ飲みしていた。彼らは自分の飢えを満たすために食べ、自分の渇きをしずめるために飲んでいた。パウロは「あなたたちには食べ飲みするための家がないのですか?それとも、あなたちは神の教会を蔑んで、持たざる者を辱めるのですか」と告げて、彼らを恥じ入らせた。彼はまた、彼らは的を外している、と告げた。彼は彼らに「どうして主の食卓が設けられたのか、あなたたちは理解していない」と述べた。第一コリント一一・二四で彼は、イエスは「取って食べなさい。これはあなたたちのために裂かれる私の体です。私を覚えてこれを行いなさい」と仰せられた、と告げている。

 この時まで、このパンについては全く述べられていなかった。彼はこの二つを一緒にして、「私を覚えてこれらを行いなさい」とは仰せられなかった。むしろ、彼はそれらを区別して分けられた。彼は「私を覚えてこれを行いなさい」と言われた。論理上、これには一つの意味しかありえない。体と血はそれぞれ別のことを意味していたのである。

 第一コリント一一・二九~三〇から、この裂かれた体の意味に関するパウロの立場がわかる。コリント人たちの中には弱くて病んでいる人もいれば眠った人もいる、と彼は告げた。これは、彼らがその時ではないのに死んだことを意味した。その理由は彼らが主のからだをわきまえなかったからである、と彼は強調して告げる。分かりやすい二十世紀の言葉で言うと、「コリントにある教会の構成員であるあなたたちの多くの体が病んでいて弱く、また、あなたたちの多くが死んだのは、イエス・キリストがあなたの病を負って下さったことをあなたたちが信じていないか、あるいは理解していないためです」。

 この教会は、彼らの様々な指導者たちの美点に関して争い、キリストのからだを分ける分派の罪に耽っていた。そんなことをしている力があるなら、この教会はその力を主に近づくことに費やすべきだったのである。彼らは癒してもらえていただろう。しかし、彼らはこの真理を認めなかった。贖いのこの特権を用いていさえすれば、死んだ者の中には生きながらえた者もいただろう。


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