あなたの側で信仰を少しも行使しなくても、神はあなたに癒しを与えることができる、とあなたは私に言うのか?神にそうしてもらうことを、とても多くの人々が期待している。しかし、神はそのような方法では働かれない。もし神がそうされるとしたら、あなたは御顔を求めようとするだろうか?祈ろうとするだろうか?単調なこの世から去って、あなたの密室の中で一人で両手を神に向かって上げるだろうか?あなたたちの中には自分の聖書をわざわざ読もうともしない人もいる――神が健康を携えてあなたのもとに訪れ、あなたの病を癒されたとしても、あなたはそのことを神に感謝するために立ち止まろうとすらしないだろう。こう述べるに足る人間性に関する知識を私は持っている。

 かつてある人が、これと同様の私の宣言に反駁した。「このような祝福の受け手になるなら、主に感謝しないほどの忘恩の徒になる人は、いかなる環境下でも、地上には一人もいない」と彼は宣言した。私はその人と夕食を食べたのだが、彼はその食物のゆえに主に感謝する時間を少しも取らなかった。彼にパンとじゃがいもを渡した時、「神の才と力から発した二つの奇跡をあなたに与えます」と私は彼に言った。彼は私に「私がそのじゃがいもを育てたのであり、私がそのパンを買ったのです」と言った――しかし神抜きで彼に何ができただろう?この会話の間、彼の草むらを歩いて周った時に神が私の心に与えて下さったメッセージを私は示した。

 その牧場には馬、羊、鶏、豚、羊がいた。それらはみな同じ草を食べていた。同じ水を飲んでいた。この同じ同一の水と食物が、どういうわけか、馬の力、牛のミルク、鶏の卵、羊の背中の羊毛、豚のベーコンとなった。そこで、私は「これは奇跡だと思いませんか?」と私の友人に訪ねた。「自然はそういうものですよ」と彼は答えた。しかし、いわゆる自然の背後には超自然が存在する。被造物の背後には創造主が存在する。一方を持つには他方を持たなければならない。彼はそこで、それは奇跡であることを認めた。その食卓の上の食物、彼が背中に着ている衣服、彼が自分の家を建てた木材の背後には神がおられた。神はまた、彼の横のコップの中に入っている水の与え主でもあった。そこで私は「どうしてそれらのゆえに神に感謝しないのですか?」と彼に尋ねた。彼は何も答えなかった。しかし、彼がその問いに答える日が来るだろう。


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