ああ、われわれはどれほど神を必要としていることか!ああ、不信仰という暗闇の中をさまよい、遂には暗い湿地で迷子になり、光を得ようと努めるうちに、空しく空想の産物をつかんでしまうようになるその間、われわれの心はどれほど叫ばなければならないことか。

 信仰があること――神がその背後におられること――神がそれを無限に供給して下さること――われわれはみなそれを得ることを心がけるべきことを、われわれは示した。一粒のからし種のような信仰の効力についての説明を御言葉から読むのをやめて、世界中を探し回ったとしても、神御自身の外ではそのような信仰を見いだせない。神は信仰を持っておられる――われわれはそれを知っている――しかし、いかにしてそれを得るのかが問題である。私はこの章を始めるにあたって強調したい。神にできることは何でも、信仰にもできるのである。「信じる者には何でもできます」。この約束に限界は無い。それに境界線は無い――それは最も深い深淵のように深く、無限の天蓋のように高い。

 第一に、あなたに思い起こさせよう。信仰は賜物である。これは、信仰を自力で得ることはできないことを意味する。信仰が臨むのは、単に奉仕に対する報酬や、あなた自身の苦闘や努力の結果としてではないことを意味する。信仰の割り当てについてわれわれはよく耳にする。信仰は割り当て可能だが、あなたは信仰を割り当てられない。再びあなたに思い起こさせよう――信仰は賜物である、と聖書は宣言している。しかし、「信仰は実でもあります」とあなたは私に言う。次に、「信仰は実である以上、私は信仰を育むことができます」とあなたは言う。そうではない、私の友よ。信仰はあなたが育てる実ではない。聖霊の実である。あなたは御霊無しで御霊の実を結ぶことはできない。もしできたなら、それは聖霊の実ではなく、あなた自身の努力の産物だっただろう――あなたが育てた実だっただろう。人がそうしようと努めたとしても、神御自身を持たずに信仰を持つことはできない。


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