私のギリシャ語聖書は、信仰は「見えない事柄についての確信」であると告げている。

 この「確信」という言葉は何を意味するのか?広い意味で、心と知性が納得することを意味する――両方とも信仰の働きの中で共に働くからである。見えない事柄がこの梯子の頂上にあり、二人の人が梯子の足の地面に一緒に座っているとしよう。このとき、この梯子を昇り始める人は、自分の望むものが頂上にある、と納得している。昇ろうとしない人は、見えないものを信じることを拒んでいるので、昇らないのである。もしそれを見ることができて、それを目指して昇るなら、それは信仰ではない。見えないのに、それを目指して昇るなら――それは信仰である。それゆえ信仰は確信である――見えないものについて心と知性で納得することである。

 しかし、われわれの当初の主張を繰り返そう。信仰は証拠に基づいていなければならない。一人の哀れな年老いた浮浪者が「虹の端に金の壺がある」と言っても、あなたはそれを信じないだろう――何も証拠がないからである。一人の億万長者がその名誉をかけて「私の事務室で金の財布があなたを待っていますよ」と約束するなら、あなたはすぐにそれを貰いに出かけるだろう。財布を貰いに出かけるこの行為は、「彼の言ったことは本当である」と心で納得することに続いて生じる信仰の働きである。

 それでは今、神が何かを仰せられたとしよう――神は永遠の御方である。創造主である。手のひらの中に海を握られた御方である。その指で山々を形造り、その山腹に川々の道を敷いた御方である。神が何かを語って、それを御自身の権威によって裏付けられる時――その時、私が思うに、あなたは自分の信仰のための基礎を得るのである。

 神は永遠なる御方であり、栄光と威光と力をまとっておられる――この御方を前にするとき、悪魔どもは震えて逃げ去る――その威厳ある命令の言葉を前にするとき、自然ですらその運行を差し止める――この神が語られる時、私が思うに、あなたは自分の信仰が働くための基礎、証拠を得るのである。

 この素晴らしいキリスト――カルバリのキリストは神格の全豊満を身にまとってそれで満たされており、ガリラヤ湖の荒れ狂う波に静まれと命じられた――このイエスが語って、あなたに約束を賜る時、私は断言するが、あなたは自分の信仰のための基礎を得るのである。

 彼は達成不可能なことを約束し、われわれはそれを受ける。彼は不可能なことを約束し、われわれはそれを得る。不信仰な世は嘲り、現代主義者たちは私を笑って蔑むかもしれない――今日の超知識人の哀れな盲目の目には神の働きが見えないかもしれない――それでも同じように、私は断言する。信仰は依然として山々を移すことができるし、信じる人には何でも可能なのである。

「信仰、力強い信仰は、約束を見つめ、
 ただ神だけを見る。
 不可能なことを笑い、
 『それは成る』と叫ぶ!」



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