ヨシュアの場合、彼がエリコの城壁の前に立った時、主の軍勢の将は「私はエリコをあなたの手に渡す」と仰せられた。ヨシュアが必要としていたのは、ただこれだけだった。もし主の軍勢の将が「エリコの周りを逆立ちで歩め」と命じていたなら、彼はそうしていただろう。「兵士や祭司の行進によって、エリコの城壁は崩される」とヨシュアは心の中で思っていた、と一瞬たりとも信じてはならない。行進は、彼が神を信じていることを示す印以上のものではなかった。こういうわけで神は彼に行進させたのである。誰が城壁を崩すのかをヨシュアは知っていた。そして、誰があなたのために城壁を崩すのかを私は知っている。

 しかし、自分が主を信じていることを示す印を、あなたは主に与えただろうか?あなたは自分の信仰を働かせ始めただろうか?たとえまだ城壁を神が崩しておられなくても、その城壁が崩れ落ちる保証をあなたは受けただろうか?城壁が崩れ落ちた後なら、それは崩れることを誰でも信じることができる。ヨシュアが月明りの中で遠くを見つめている時、神は彼の傍らに立って、「見よ、ヨシュアよ」と言うこともできた。そして、その神聖な指でその都の城壁を指し、その都の城壁を崩すこともできた。その時にそうすることは、七日後に同じことを成し遂げるのと同じくらい、神にとっては容易だっただろう。

 なぜ神はヨシュアを待たせたのか?この答えは完全に明らかである。しかし、それには至って途方もない重要性がある。それは次の理由のためだった。すなわち、神の力が現れるために、人が信仰を行使して神と協力することが、神のエコノミーの一部なのである。われわれに必要なものをその必要が生じた時に神がわれわれに与えておられたなら、われわれは霊的機械に成り果てていただろう。われわれは生きた機械となって、自由な道徳的主体としての自分の独自性を失っていただろう。

 あなたには分からないのだろうか?神を信じる人こそ、神からものを得る者なのである。あなたには理解できないのだろうか?神を信じる人こそ、そうすることによって主を真にあがめる者なのである。


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