数年前、私はある若いクリスチャンの家の中に座っていた。若いというのは、年齢のことではなく、クリスチャン経験のことである。三週間前に彼女は自分の心をイエスに捧げて、日の沈まない国に導く巡礼の道を歩き始めたばかりだった。この親愛なる婦人ほど聖書とキリスト教の基礎に関して無知な人に、私は自分の人生の中でほとんど会ったことがない。彼女は確かにキリストにある赤子だったのである。

 彼女は不幸にも、不治の病で苦しんでいる娘の母親だった。その少女は母親にとって、生涯にわたる大きな試練、重荷だった。しかし母親としての優しい愛の配慮により、彼女は自分の苦しんでいる子供のために最善を尽くしてきた。私がその家を訪問するたった一日前に、彼女の夫は即死し、その時彼らを訪問していた彼女の甥は自動車事故で重傷を負ったのだった。

 それで、あの雨の晩、私はその家の中に座すことになったのだった。その哀れな女性は座して嘆き、その両手を握っていた。私は最善を尽くして彼女を慰めた。彼女は私の言ったことを聞いていないようだった。失望と絶望の中で茫然自失しているだけだった。重荷を負って下さる偉大な御方について私が彼女に話した時、彼女は悲しげに頭を振った。私は御言葉から読むよう御霊に導かれているように感じた。そこで私はあの素晴らしい詩篇「その隠れ場に住む者は」に向かった。彼女に聞いてほしい御言葉を強調しつつ、私は読み続けた。すると突然、彼女は私を止めた。彼女の目には奇妙な表情が浮かんでいた。そして、「御言葉は本当にそう言っているのですか?」と叫んだ。

 新約聖書に転じて、私は次々にイエスの約束を読んだ。彼女の目はますます見開かれてゆき、遂に彼女は叫んだ、「誰にイエス様はそう約束されたのですか?」。私は進み出て、彼女の手を握り、その目を見つめて、「あなたにです」と言った。彼女は椅子に寄りかかって、「この約束は――私のため、この約束は――私のため」と何度も繰り返した。それを理解した時、彼女の信仰は成長し始めた。そして彼女は叫んだ、「イエス様がそうして下さると仰るなら、私のためにそうして下さい、と私はイエス様にお願いします」。

 その悲しみの家の中に、慰めを与えるナザレ人が来て下さった!どれほど想像を広げたとしても、地上のいかなる環境も喜びを生じさせるのは不可能な状況の中に、麗しい永続的な平安が臨んだ。「葬儀の後、喜びの涙以外の涙を流すことはできませんでした」と彼女は私に告げた。彼女は言った、「私の夫がイエス様を見出した喜びの方が彼を失った私の悲しみよりも大きいとは、奇妙なことではないでしょうか?」。私は彼女に言った、「それはこの世の人々には奇妙でも、神の民にとっては奇妙ではありません。それは神の民が期待すべきことなのです」。

 ああ、御父の御心の愛から生じた信仰、麗しい信仰は、われわれを悲しみの谷間から引き上げてくれる。そして、この地上においても、すべての目から涙を拭ってくれる。輝かしい信仰――素晴らしい信仰――それは神の御言葉の宝の中に手を伸ばし、その指で約束という宝石を掴んで、それを砕かれた心に差し出す。その結果ついには癒しの水が流れるようになる。信仰――甘く輝かしい信仰――それはわれわれの耳から音や時間の制約を取り除く――そしてガラスの海の傍らから流れてくる音楽に耳を傾けるようわれわれに命じる。あるいは、もしかすると、その音楽はさらに甘美な――われわれの栄光を受けた主の御声かもしれない。


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