私が言わんとしていることを例証することにしよう。数年前、私がカナダのある都市にいた時のことである。私が浜辺で静かな一日を過ごしていると、一人の嘲る人が私に近づいてきた。私は大きな競技場で数千の人々に向かって「信仰」について説教していた。多くの癒しの奇跡が神の御力によってなされたが、この事実にもかかわらず、この世の神によってあまりにも盲目にされているせいで、自分たちの目の前で起きていることを理解できない人々がいた。その人はこのような人々の一人だった。

 浜辺で仰向けになっている私に近づいて、彼は皮肉交じりの口調で言った、「おや、信仰の人ではありませんか。水の上を歩いてはいかがですか?もしあなたが水の上を歩いたら、私は信じましょう――今晩、あなたの聴衆の前に立って、自分が間違っていたことを告白します。そして仕事を辞めて、宣べ伝えることを始めます」。

 もし私が愚かにもこの人の言葉を真に受けて、海の上を歩こうとしていたなら、一体どうなっていたことか。そうするのは思い込みの所業だっただろう。「あなたが神を信じる信仰を持てていれば、神はあなたを水面から引き上げて下さっていただろう」と言う人もいる。私はそんなことは信じない。

 神を試みることと神に信頼することとの間には大きな違いがある。私は沈んでいただろう。それどころか、沈んで当然だっただろう。神の約束が何もなかったからである――聖書的根拠は何も無かったし、このような無謀な試みをする許可を私に与えるものは天にも地にも何もなかったのである。

 しかし、ペテロは海の上を歩いた。そして、波は彼を支えた。彼の信仰はイエスの招きに基づいていた。言い換えると、彼の思いは納得していたのである――彼は信じたのである――主がそうするよう彼に告げられたからである。イエスの御言葉――キリストの招き――の土台の上に、ペテロの信仰は建て上げられていた。あの人は私に海の上を歩くよう挑み、ペテロは実際に海の上を歩いた。これに関するペテロと私の違いは、ペテロには信仰のための基礎があったが、私には全く無かったということである。


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