数世紀もの間、人々は信仰を定義しようとしてきた。辞書や百科事典はわれわれに諸々の定義を与える。しかし、そのどれも何かが欠けている。その何かとは聖霊の臨在である。聖霊の照らしの力がなければ、いかなる人も信仰の意味を理解できない。

 ヘブル人への手紙の一一・一で、聖書は信仰を二重の方法で定義している。この御言葉は、信仰は「望んでいる事柄の実体」「見えない事柄の証拠」であると告げる。これは、アラビアの砂漠のどこかで三年間のあいだ神と共に隠遁した人、そして三十年間のあいだ御霊によってクリスチャン経験と生活に関するいっそう深い啓示の中に導かれてきた人の定義である。

 再生されていない人がパウロのこれらの言葉を理解できないのも不思議ではない。人々の大多数が彼らの思考の測鉛線をこれらの偉大な真理の深遠なる深みに垂れることができないのも奇妙なことではない。実際のところ、信仰はとても広大な領域を網羅し、多くの方法で働くため、それを二十世紀の言葉で定義するのはほとんど不可能である。しかし祈ろうではないか。どうか聖霊がわれわれの心と思いを照らして下さり、われわれの人間的制約のせいで決して感知・理解できないこれらの事柄をわれわれに啓示して下さいますように。

 まず第一に、信仰は証拠に基づいて知性が納得することである。信じる根拠を与えずに何かを信じるようわれわれに求めることを、神は決してなさらない。神は決して嘘を信じるようわれわれに求めない。だから、われわれは決して嘘を信じない。神はわれわれに真理を与えて下さる。何に信仰を置くべきか、神はわれわれに教えて下さる。「来て、共に論じようではないか、と主は仰せられる」が、聖書のすべてのページに見出される真理である。信仰には、根拠となる基礎がなければならない。事の性質上、信仰が働くには何らかの理由がなければならないし、信仰が現わされる何らかの根拠が必要である。

 とても多くの人々は、思い込みと信仰の違いを一度も理解したことがない。思い込みは証拠なき信念であり、信仰は証拠と共に働く信念である。


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