人類の諸問題の一つは、時としてあまりにも怠慢で自分自身で考えないことである。われわれは他の誰かがわれわれのために造った自動車に乗る。多くの若者は田舎道を時速七十五マイルで突っ走るが、内燃機関の原理や、駆動軸やギアのピストン運動に対する関係については全く何も知らない。多くの人が他人が造った信条という車に乗ろうとするが、自分が乗る機械について何も知らない。

 かつては教会だったが、今では堕落して社交クラブや科学の学術団体になってしまったものの講壇の階段を説教者たちが登った時、人々は彼らの教えを吸収し始めた。なぜなら、自分たちに代わって説教者たちに考えてもらうことに慣れっこになっていたからである。この状態は、前に述べたように、一夜で生じたのではない。不信仰と暗闇の軍勢が長年にわたって教会を計画的に攻撃した結果だったのである。

 永遠なる神の御子御自身が、歴史の回廊を見下ろしてまさにこの時代・時を見つめ、こう問われた。

 「人の子が来る時、地上に信仰は見い出されるだろうか?」。この問いが示唆する答えは、もちろん、否である。しかしこれが意味するのは、信仰が地上に全くなくなるということではなく、信仰のほとんどがなくなるということである。かつて教会が持っていたものを、いずれにせよその大部分を教会は失ってしまった、とそれは告げる。

 これはルカ一八・一~八の文脈からわかる。祝された主はこの御言葉の中で一人のやもめについて述べておられる。そのやもめは裁判官に何度も何度もしつこく懇願したので、とうとう裁判官は彼女の仇に復讐してやった。ガリラヤ人なる御方の口から発せられた論拠は次の通りである。すなわち、もし地上の裁判官が、一人の婦人が何度もやって来て自分に懇願するからという理由だけでそうするなら、われわれの天の父は、信仰の欠如と霊的衰退の時代――これがイエスの再臨に先立つ――の中でも彼に対して忠実な小さな群れのために復讐して下さらないことがあろうか、ということである。

 神に感謝せよ、信仰がいくらか残っているのである!イエスの再来に先立つ霊的エクレシアがある、というこの偉大な事実のゆえに神に感謝せよ。それは、われらの愛する主が最初に肉身をとって地上におられたその直後に、召し出された団体が生じたのと同じである。


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