受けること。神の諸々の約束を求める一方で、その諸々の命令に従うことを忘れないようにしようではないか。「聖霊を受けなさい」「御霊に満たされなさい」は神の命令である。ペテロとヨハネがサマリヤにいるクリスチャンの回心者たちのもとに来た時、彼らは「彼らが聖霊を受けるよう、彼らのために祈った」(使八・一五)。パウロがエペソに来て、そこで弟子たちを見出した時、彼は彼らに「あなたたちは信じた時、聖霊を受けましたか?」(使一九・二)というこの質問をした。この人々がどのような類の弟子だったのかに関する質問はさておき、次のことは明らかだと思われる。使徒は彼らがキリストの弟子――御名の中へとバプテスマされて、それゆえ聖霊から生まれた信者――であることを前提としてこの質問をしたのである。彼らは実際にはバプテスマのヨハネに従う者たちにすぎなかったことがわかる――キリスト教の経綸の中に個人的に入っていない弟子たちだったのである。しかし大事な点は、結局のところ、彼らの霊的状態がどうだったのかということではなく、使徒の意図は何だったのか、その質問の目的は何だったのかということである。

 彼の質問は次の事実を示唆するのではないだろうか?すなわち、御霊から生まれた信者でも、使徒たちがペンテコステの日に聖霊を受けたのと同じような意味では、まだ聖霊を受けていない可能性があるという事実である。

 それゆえ、この同じ使徒がガラテヤ人に「あなたたちが御霊を受けたのは律法の行いによるのですか、それとも、信仰を聞くことによってですか?」(ガラ三・二)と書き送っているのをわれわれは見い出す。信仰は働くことではなく受けることにある。

 これをわれわれの主の御言葉と比較せよ。「それは真理の霊です。この御方をこの世は受けることができません。この御方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたたちはこの御方を知っています」(ヨハ一四・一七)等々。「この世については、視力に欠けているせいで持つことができない。弟子たちについては、この慰め主の個人的臨在が知識をもたらし、この知識により、いっそう完全に受ける力を持つようになる」(カノン・ウェストコット)。


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