使徒行伝に記録されている諸々の出来事に関して、注目するとためになるもう一つの点は、「満ちて(full)」いることと「満たされる(filled)」こととの間の区別である。前者は恒常的・習慣的状態を指し、後者は特別な霊感や流入――特別な時になされる、奉仕のための御霊の即時的活動や突発的行為――を指す。

 これらの節に注意深く気を付けなければならない。

 例えば、「ですから、兄弟たちよ。あなたたちの間から正直で聖霊と知恵に満ちている(full)七人の人々を選びなさい。(中略)そこで彼らは信仰と聖霊に満ちている人、ステパノを選んだ」(使六・三~五)等々と記されている。また、バルナバに触れて、「なぜなら彼は良い人であり、聖霊と信仰に満ちて(full)いたからである」と記されている。

 これらの節の中の「満ちて(full)」という言葉は、恒常的性格を示している――この人々は聖霊で満たされて、習慣的に聖霊に満ちて(full)いる人々だったのである。

 しかし特別な奉仕のためには――必要が生じた時や、特別な困難や試練の時には――これは十分ではなかった。このように満ちている人々に対して、追加の特別な供給が臨んだ。これにより彼らは満ち溢れた。言わば、内なる泉から湧き出たのである。ヨハネ四・一四とヨハネ七・三八を比較せよ。

 だから、「するとペテロは聖霊で満たされた」(使四・八)云々と記されている。すでに満ちている人が、その場その時、新たな満たしを受けたのである。また、「その時サウロ(別名パウロ)は聖霊で満たされた」云々と記されている。この箇所のこの言葉は、特別な時に突然臨んだ流入を示している。

 今、信者が自分の特権であるものとして探し求めて要求すべきは、この習慣的状態――常に御霊に満ちていること――である。

 これは必ずしも喜び、恍惚状態、力の感覚といった何か素晴らしい経験である必要はない。むしろ、主を近くに感じること、子供のような確信、主に常に全く頼ることである。これはわれわれに主が内住しているという感覚を与える。


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