しかし、戦いについてのこの主題に関するある重要な節にまだ触れていない。それはガラテヤ人への手紙の中で使徒がわれわれに与えている有名な宣言である。「しかし、私は言います。御霊によって歩きなさい。そうすれば、あなたたちは肉の欲を満たすことはありません。なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、肉は御霊に反するからです。これらのものは互いに相さからい、その結果、あなたたちは自分の欲することを行うことができなくなります。しかし、あなたたちは御霊によって導かれるなら、律法の下にはいません」(ガラ五・一六~一八、改定訳)。

 この御言葉の意味を理解するために、ここで使徒が「御霊」という言葉でわれわれにはっきりと示そうとしたことを理解するのは、極めて重要である。ここで描写されているのは、肉と霊という二つの性質の間の戦いであるかのように、この御言葉を読むクリスチャンが大勢いる。この御言葉に関するこのような思想を、一度限り永遠に退けようではないか。この節が教えているのはそのようなことではない。使徒はここの「御霊」という言葉で、各人の構成の一部である人の霊について述べているのではない。また、「御霊から生まれた」新しい性質について述べているのでもない。アルフォードがこの御言葉について述べているように、ここの御霊は「人の霊的部分のことではなく、(五節にあるように)神の聖霊のことである」。同様のことを別の有名な注解者が述べている。「ここの御霊は間違いなく聖霊である。それは肉に打ち勝つものである。聖霊は、確かに、信者の心の中に入って来られる。そして、その働きはただ、信者の歩みを促進・決定することによる。それは、信者の中に住んでいる者としてである。しかしそれでも(ここの)『御霊』は、御霊によって聖められた信者自身の新しい気質と、この理由のゆえに同等ではない。むしろ、人の霊を超越した神として、個々の人の霊とは常に異なるものであり続ける」(ランゲ)。

 これはさらに文脈から明らかである。「御霊の中を歩む」ことは、聖霊の中を歩むことである。「御霊の実」(二二節)は聖霊の実であって、われわれの新しい性質の実ではない。だからここで使徒が告げているのは肉と聖霊の間の対立である――ここでは聖霊のことを、外側から信者に対して働いているだけでなく、内住する力としても働いておられると見なしている。

 ここで使徒が告げているのは次のことである。すなわち、「聖霊の中を歩むこと」は、「肉の欲」に対する継続的勝利のうちに、あるいは、それから解放された状態のうちに生きる手段である、ということである。


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