最後に、この戦いで期待される結果について見よ。この節には注意すべき三つの「できる」がある。一つ目は十一節の「あなたたちが悪魔の策略に対して立つことができるためです」である。この武具によるわれわれのための備えは、われわれを十分に立たせることができる。最も弱い聖徒といえどもサタンに征服されるべき理由は何もない。われわれが勝利することが神の御旨である。敗北ではなく勝利を期待しようではないか。失敗を予期しつつ戦いの中に入って行ったせいで、われわれはどれほど打ち負かされてきたことか!

 次の「できる」は十三節にある。しかし、まず十六節の「できる」に注意せよ。「その上に、信仰の盾を取りなさい。それにより、悪しき者の火矢をすべて消すことができます」。「すべて」というささやかな言葉を見落とさないようにしようではないか。これらの火矢と、それらがもたらす苦難について、われわれは幾らか知っている。不信仰な思い、落胆させる、辛く、忌まわしい思い――われわれの最も悪い激情を燃え上がらせて、われわれを再暗黒の暗闇の中に投げ込む思いである。解放されることをわれわれはどれほど望んでいることか!われわれが確信をもって期待できる神の保証がここにある。救済策はどこにあるのか?信仰の盾にあるのである。この盾を常にわれわれと敵との間に置いて、一本たりとも矢がわれわれの魂に届かないようにしようではないか。「悪しき者が放つ火矢はすべて」消されるのである。

 キリストこそ信仰がとらえる盾である。キリストにあなたと敵の間に立ってもらえ。そうするなら、いかなる悪も恐れる必要はない。この目に見えない貫通できない盾は、あなたの四方を囲み、すべての攻撃からあなたを守る。

 十三節にこう記されている。「それは、あなたたちが悪しき日にあって抵抗することができ、またすべてを成し遂げて立つことができるためです」。「抵抗する」というこの表現は、ヤコブの手紙の中にも現れる。「悪魔に抵抗しなさい。そうすれば、彼はあなたたちから逃げ去ります」(ヤコ四・七)。また、ペテロの第一の手紙にも現れる。「この悪魔に、堅く信仰にあって、抵抗しなさい」(一ペテ五・九)。欽定訳はおそらく次のような思想にわれわれを導くかもしれない。すなわち、信者の義務は出て行って敵と遭遇し、自分自身の抵抗する力によって敵を征服することである、という思想である。しかし、この言葉が実際には「抵抗する」であることを心に留めるなら、サタンに首尾よくあたることのできる唯一の方法は、われわれがキリストの中にかくまわれていることをサタンが見出すようにすることであることがただちにわかる。サタンに「抵抗」できる唯一の方法は、われわれの要塞であるキリストの中に立って、われわれの防護壁であるキリストと共に敵の攻撃にあたることである。ペテロ第一の手紙のこの節はこのように理解するべきである。われわれは、堅く信仰の中にあることにより、サタンに「抵抗する」べきである。すなわち、信仰の勝利の立場に堅く立つことによってである。


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