さて、次のことをはっきりと理解しようではないか。戦いの備えとしてこの勝利の地位に着くことは、漸進的に達成する問題ではなく、信仰によってただちに受け入れるべき事柄である。戦いを始める前に、われわれはこれを受け入れる。なぜなら、この地位を受け入れない限り、戦いのための備えは整わないからである。

 それは敵の地位よりも優った地位である。敵が山頂を占領しているので、キリストは信者を谷間に導かれる、ということはない。この戦いは、キリストの助けにより勝利を得て、敵を有利な立場から退かせることではない。この戦いの性格は全く異なる。キリストがその勝利によって成し遂げられたことを見ることは、敵はすでに征服されて要塞から追放されていることを見ることである。また、われわれの戦いは勝利のこの地位のために戦うことではなく、この地位に立って戦うことであることを見ることである。この戦いの本質は登って行って占領することではなく、占領者の立場に立つことである。われわれがキリストにあって立つ瞬間、われわれは占領する。したがって、次にわれわれがなすべきことは、われわれの領地を保持することである。マルチン・ルターが述べたように、われわれは「自分の畑を保」たなければならない。だから使徒は次の表現を用いている。「それはあなたたちが抵抗することができ(中略)またすべてのことを成し遂げて立つことができるためです」(エペ六・一三)。

 「神のすべての武具を身につけなさい」。ここでもまた、この御言葉をわれわれの法的立場について述べているものと理解してはならない――なぜなら、これは勧めの問題ではありえないからである――これはわれわれの実際の振る舞いの問題である。使徒が述べているのは、必ず実行すべきことである。この武具の意義の詳細の中に入り込まなくても、ざっと見ただけで、われわれは次のことを指摘できる。ここで述べられていることは、この同じ使徒がローマ人への手紙の中で与えている「主イエス・キリストを着なさい」(ロマ一三・一四)という指示と同じなのである。われわれはこれをこう要約できるだろう。キリストを着ることは、彼の主権に全く服することであり、完全に彼の支配下に来ることなのである。これは、他の章で見たように、彼の力を得る秘訣である。これが実際になされない限り、われわれは戦いに従事する用意が整わない。


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