しかし、どのようにこの勧めに従えばいいのだろうか?主にあって強くされることは、この戦いで成功をおさめられる、ただ一つしかない特定の立場に着くことである。そうするには、主イエス・キリストが御自身の民のために獲得された勝利の性質を、まずはっきりと見なければならない。

 彼は神と人との間の仲保者であるだけでなく、われわれの霊的大敵の征服者でもある。彼は御自分の功績によってわれわれの罪のために贖いを成しただけでなく、その全能の力によってわれわれの敵を征服された。彼の死を通して、彼は死の力を持つ者すなわち悪魔を征服された。彼は、われわれを攻撃するおそれのあるすべての敵に対して勝利された。神がキリストを死者の中からよみがえらせて、御自分の右に置かれた時、キリストは「すべての支配、権力、力、主権、そして、この世だけでなく来たるべき世においても唱えられるあらゆる名を超えて、遥かに高くされた。そして、神は万物をキリストの足の下に置かれた」(エペ一・二一~二二)。主にあって強められるために、われわれはまず征服者であるキリストを見なければならない。勝利の地位に着いておられるキリストを見なければならない。

 しばしば述べられてきたように、新約聖書の中のエペソ人への手紙は旧約聖書の中のヨシュア記に対応している。ヨシュア記の中で主は戦士として現れる。出エジプト記では主は贖い主として御自身を啓示される。しかし、イスラエルの子らが約束の地の境界内に立つ時はじめて、エホバは征服者として彼らに対して現れる。「主の軍勢の将として、私は今きたのです」。これは同じ神聖な方だったが、新しい啓示だった。同じ主だったが、新たな顕現だった。彼らは真の戦場に足を踏み入れたばかりだった。彼らを前に導いて戦いにもたらすために、そして彼らに勝利の真の秘訣を教えるために、彼は今こられたのである。

 この将の全貌を見て、彼がすでに獲得しておられる完全な勝利をはっきりと理解することが、主にあって、またその偉大な力によって、強くなることの第一歩である。

 しかし、次の段階はわれわれが彼の勝利の中で彼と一つになることである。ヨシュアは自分の戦士の将たちに何を要求したか?彼が五人の王を征服して洞窟の中に置いた事実を受け入れることだけでなく、この勝利の中で彼らが彼と一つになることである。イスラエルの宿営の代表者として、彼らはこの王たちの首に足をかけることを要求されたのである。

 同じようにわれわれのヨシュアは、御自分の信じる従者たちに、彼が敵に対して勝利している事実を悟らせるだけでなく、彼が彼らのために定めた勝利の地位に信仰によって立たせる。彼はわれわれを御自分の勝利の中に、御自分の征服の成果の中に入らせる――御自分の義の中に立たせるだけでなく、われわれのすべての敵に対するこの勝利の地位を信仰によって要求してこの地位に着くようにさせる。これが主にあって、またその偉大な力によって強くされることである。


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