さて、これまで述べてきたことから、目覚めている霊の前提はキリストの能力に対する確信、彼の全知の顧みと確かな愛に対する堅固な信念であることがわかる。彼の知恵、彼の力、彼の忠実さをあなたが疑問に思うことはもはやない。あなたは自分に対する彼の顧みの中で安息することができる。「私が彼に委ねたものを彼は守ることができると、私は確信しています」。あなたは敵の力のゆえにもはや恐れない。なぜなら、自分と共に、また自分の内におられる方は、自分に敵対するすべてのものよりも偉大であることを、あなたは知っているからである。あなたは神の保護する力に信頼することができる。自分が常に勝利している御方の傍らにいることを、あなたは知っている。

 しかし、これにはもう一つの前提がある。それは神との親しい歩みである。親密さである。一定間隔で行われる礼拝のときだけでなく、日常生活や一日のすべての時間にも及ぶ親密さである。それは鋭敏な良心を意味する――罪の接近に対してますます敏感になってゆく良心と、罪の忌まわしさに対するさらに深くて真実な憎しみとを意味する。几帳面な良心ではなく、健全な優しい良心――咎めのない良心――を意味する。

 これから、次のことが言える。もしも私が何らかの悪習によって突然打ち負かされてばかりいて、繰り返し敵の攻撃によって不意を突かれているなら、私の霊は実際には目を覚ましていないのである。習慣的に「イエスを仰ぎ見て」いないのである。神との交わりの中を歩んでいないのである。私の魂と主との間の交流が断たれているのである。

 「不意を突かれた」と弁解して、自分の失敗の言い訳をすることはできない。万事を御存じである御方が、目を覚ましている者たちに常に与えて下さる警告に対して忠実なら、われわれは決して不意を突かれる必要はない。

 次の出来事は、ここでわれわれが触れた重要な真理の良い例として役に立つだろう。この真理とはすなわち、目覚めている霊の前提条件は、鋭敏な良心もしくは霊的識別力の器官を持つことである、ということである。これはわれわれの信仰の歩みにおいて極めて価値のあるものである。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ