見張りの立場に着くには、主の保護の中にあることがどういうことかを知らなければならない。真のクリスチャンの用心の意味を学ぶには、われわれは塔の中に、主の守りの力の中にいなければならない。

 見張ることの真の目的をはっきりと認識しようではないか。われわれは自分の思いと注意を間違った方向に向けているのかもしれない。われわれが見張るべきものは何か?

 敵だろうか?否、敵は驚くべき欺きの力を持っており、光の天使に変装するからである。もし敵の戦う相手がわれわれの用心だけであり、対処する相手がわれわれの力だけだったなら、敵がわれわれを惑わすのは雑作もないことだっただろう。敵はわれわれが自分の欺きの格好の餌食であることを見出していただろうからである。

 見張っていることの目的は、ただ一つしかありえない。それは「イエスを仰ぎ見ること」である。見張りの姿勢に、他の姿勢はありえない。では、われわれは何を見張るべきか?主の警告、導き、教えである。

 われわれは主の警告を見張らなければならない。サタンのすべての陰謀と、暗闇の軍勢の間で進行中のすべての事柄を唯一見抜いている御方は主である。信者は悪魔の悪巧みのほんの少ししか分からない。しかし、キリストの全知の目は、霊的邪悪さの最も奥深くまですべて見抜く。彼が不意を突かれることはありえない。まどろむことも眠ることもない御方は、御自分の信じる従者たちに、予め警告を与える用意が常に整っている。敵の力から彼らを守るために、彼らが知る必要のあるすべてのことを、予め警告する用意が整っている。彼の愛の眼差しは、見張っている信者に守りを堅めさせることに決してしくじらない。そして、敵の接近や、生じかねないいかなる特別な危険に関しても、信者に知らせる。

 彼が不意を突かれることはありえないのと同じように、彼は決して間違った警告を与えることはない。神のどの子供も、迫りつつある危険に関して予め神から警告を受けることなく、深刻な罪の中に陥ることは決してない。警告を無視することが、堕落の第一歩だった。


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