それゆえ、力の条件は神に対して完全な心を持つことである。完全な心をわれわれはどのように理解するべきか?

 原文のこの言葉を見ると、まず、それは神に対して平和な心を意味することがわかる。

 平和のための偉大な御業を神は受け入れておられる。「その心があなたにとどまっている者を、あなたは完全な平和のうちに保たれます」(イザ二六・三)。神に対して完全な心は、キリストの贖いの御業に頼る心である。「完全な平和」あるいは「平和、平和」という言葉には、償いという思想が含まれており、これにより、贖いあるいは平和のための御業という観念を明らかにしている。ヘブル語のシャレム(shalem)という言葉は歴代誌下一六・九では「完全」と訳されているが、創世記三四・二一では「平和な」と訳されている。なぜなら、心が平和のための御業――この御業は神聖で、十全な、一度限り永遠に成就された御業である――に頼るようになる時、神との平和を持つ特権にあずかるだけでなく、神の平和を持つ特権にもあずかるからである。義認の平和だけでなく、聖別の平和をも知るようになるのである。したがって、神に対して完全な心は、何も責められるところのない心である。すべてのことで正しいとされる心であり、また、その中にもはや神とのいかなる論争もない心である。御霊はそのような人の中に、叱責者としてではなく慰め主として住まわれる。

 歴代誌下のこの節の中にあるシャレムという語は、別の思想も示している。「完全な」心は、神に対して全く明け渡された心である。「全き石で、あなたはあなたの神、主のために祭壇を築かなければならない」(申二七・六。ヨシ八・三一も見よ)。完全な心は全き心である。全きさは聖さの主要な意味の一つである。心の聖さは心の全きさである。「わが子よ、あなたの心を私に与えよ」(箴二三・二六)。完全な心は、この訴えに応答してきた心である。それは保留せずに自分自身をささげる。それは献身の祭壇の上に自分自身を完全に置く。この祭壇とはキリストである。この祭壇は贈り物を聖別する。なぜなら、「奉献物はみな、主に対して最も聖である」(レビ二七・二八)からである。


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