しかし、聖に関する神の理想を示すものとしての、キリストの地上の歩みの人間的側面を考えるとき、われわれはキリストの本質的神性と、それゆえ、われわれの聖別にはこの神性が必要であることを、一瞬たりとも見失ってはならない。そこで、才能ある著者による貴重な見解をここで追記することにする。この著者とはゴデット教授のことであり、彼の著作をすでに度々引用してきた。

 「キリストの本質的・個人的神性から何かを差し引くとき、あなたは自分の輝かしい未来を構成しているこの聖の現実からそれを差し引くのである。私はこの節(ガラ二・二〇)の二つの表現と、それらの示唆に富んだつながりに感銘を受けた。その二つの表現とは『私を愛して下さった神の御子』と『キリストが私の内に生きておられます』である。人は別の人の中に住むことはできない。人は自分の記憶、模範、教えをわれわれに残すことはできるが、われわれの内で再び生きることはできない。もしイエスがただの聖なる人にすぎないなら、完全かつ正常なクリスチャンの聖別は、必然的に、彼に従って彼の真似をする真摯な努力によるものになっていただろう。そして教会は、善を志す人々――彼らは善を行うために団結する一方で、自分たちの模範であるイエス・キリストについて学ぶ――の団体にすぎなくなっていただろう。ひとたびキリストの頭から神性という冠が奪い取られるなら、最も高く最も輝かしい福音の思想でさえ、ただちにこのような水準に落ち込んでしまう」。

 「しかし、聖書と経験の両方がわれわれに教えているように、真のクリスチャンの聖さは人の努力や渇望を超えたものである。それは神から人に伝達されるものである。それは、聖霊によってわれわれに臨んで、われわれの内に住まわれるキリスト御自身である。それゆえ、聖パウロはキリストのことをわれわれの義と呼んでいるだけでなく、われわれの聖別とも呼んでいるのである。また、聖ヨハネの福音書の中で、イエスは御自身のことを次のように表現された。『私はあなたたちを慰めのないままにはしておきません。私はあなたたちのところに戻ってきます』。『その日には』――これは聖霊来臨の日のことである――『私が私の父の中におり、あなたたちが私の中におり、私があなたたちの中にいることを、あなたたちは知るでしょう』。『私を愛する者は私の父に愛されます。そして(中略)私たちはその人のところに来て、その人と共に私たちの住まいを造ります』。『私が生きるので、あなたたちも生きます』。聖霊によってわれわれのところに来て、われわれの内に住むだけでなく、その内住が同時に御父の内住でもあるこの御方はいったい誰だろう?『私が共にいなければ』あるいは『私の外では』『あなたたちは何もすることができません』とイエスは続けて言われた。『私はぶどうの木であり、あなたたちはその枝々です。私の中に住んでおり、私もその中に住んでいる人は、多くの実を結びます』。御霊は『私の栄光を現わします』」。

 「この神の御霊は一人の人を別の人々に伝達する、とは決して言えない。神の御霊は一人の人の栄光を他の人々の心と生活の中で現わすのではない。神の御霊は神聖な方である御子の栄光を現わすのであり、次に御子は御父の栄光を現わす。この真理はバプテスマの形でも表わされる。この真理はそれと同時に、クリスチャンの聖別の秘訣でもある。なぜなら、聖さとはキリストであり、キリストにあって聖霊によりわれわれの中に住まわれる神だからである。では、教会とは何か?教会は真心からキリストに倣う者たちの自発的団体であるだけでなく、キリストのからだであり、キリストがその中を御自身の豊かさで満たしている生ける器官なのである」(ゴデット)。

 それゆえ、御自身の教会の中で、キリストは依然として地上で、「見よ、私は世の終わりまで常にあなたたちと共にいます」という輝かしい宣言を遂行しつつあるのである。キリストをわれわれの聖別として理解することは、われわれの聖め主である聖霊に帰すべき栄誉を少しも損なうものではない。この事実は二つとも、極めて完全な調和の内にあるだけでなく、互いに必要なものでもあるのである。

 「おそらく、こう尋ねる人がいるだろう」とゴデット教授は記している。「私たちの聖別を聖霊に帰している節と、私たちの内に生きておられるキリスト御自身に帰している節には、どのようなつながりがあるのですか?(ガラ二・二〇)」。

 「その答えは容易である。実際には、この二種類の表現は一つの同じ事実について述べているのである。聖霊の御業とは何か?それはキリストを――キリストであるところのすべてのものと共に――われわれに分与して、キリストがわれわれの中で再び生きるようにすることである――これは麦粒が地に落ちて死に、自然の力によって甦り、穂の中の穀粒となるのに似ている。他方、キリストがわれわれの内に生きておられる、とはどういう意味か?これは聖霊の働きによる。信者たちの内で、この神聖な使者の力により、イエス・キリストの奇跡的降誕をもたらしたのと同じような効力を生じさせるのである。『私の小さな子供たちよ』と聖パウロは言った。『キリストがあなたたちの内に形造られるまで、私は再び産みの苦しみをしています』」(ガラ四・一九)。


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