この主題のこの面を見る時、われわれは極めて重大な意義を持つ二つの点に気づく。一つ目の点は意志の状態であり、二つ目の点はわれわれの信仰の姿勢である。まったく主のものになること――自分の意志を去らせて、それ以降、キリストが私を導き、私のために計画を立て、私に対してあらゆることで御自分の道を進んでもらうようになること――は、われわれが生来とても執拗にしがみついている多くの道や物事から切り離される覚悟をすることである。それは、キリストに心を丸ごと所有してもらって、そこで至高の支配者となってもらうことである。もしわれわれが何かを保留しているなら、意志は実際には明け渡されていない。もしわれわれの小船を浜辺につなぎとめている綱が一本でもあるなら、われわれは自分の停泊地をまだ手放していない。われわれは自分を陸につなぎとめている多くの係留索を「ほどいた」かもしれないが、もし綱が一本でも残っているなら、われわれは依然として堅く縛り付けられている。実際的献身と言う意味では、われわれはまだ完全には主のものになっていないのである。

 しかし、これがなされて、光によって見えるようにされた範囲内で、すべてが祭壇の上に置かれたとしてみよう。この時、信仰の問題が生じる。

 自分の信仰に対するあなたの姿勢はいかなるものか?義認に関しては、あなたはもはや求めておらず、安息している。義認に関して、もはや心配そうに祈ってはいない。むしろ、感謝に満ちて主を賛美することができる。この必要はすでに満たされている。

 それでは、主は聖化に関するあなたの必要も満たせるのではないだろうか?この点に関するあなたの今の絶えざる必要は、今の絶えざる備えだけが満たせる。この備えはキリストの中にある。求めるようわれわれに命じている御方は、受け取るようわれわれに命じてもおられる。信頼の姿勢の中にあることは受容的であることであり、受容的であるとき、われわれには不足しているものが何もないことがわかる。なぜなら、キリストはわれわれの聖別だからである。しかしこれは、この主題に関する考察で次に考えるべき点である。


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