二.しかし、聖化を別の観点から見ることもできる――姿勢として見ることができる。われわれ自身の個人的状態や行動との関係において見ることができる――それは一方において、自分が知るすべての罪から個人的に離れることであり、他方において、神に自分を献げることである。聖さの根本思想は分離である。邪悪で不純なものから自分自身を分離する時、人は自分自身を聖める。「私はあなたたちの神、主である。それゆえ、あなたたちは自分自身を聖別し、聖とならなければならない。私は聖だからである」(レビ一一・四四)。それゆえ新約聖書にも、すでに神へと分離されている者たちへの勧めがある。「肉と霊のすべての汚れから自分自身を清め、神を畏れて聖潔を完成しようではありませんか」(二コリ七・一)。

 聖化のこの面は、神に対して献身する個人的な決定的行動と見なすことができる。この最初の行動に続いて、服従の習慣・姿勢が形成される。そして、前進するにつれて、神への献身の徹底性が深まり増し加わる。

 われわれは「服従」という言葉を、このような個人的献身を含むこの主要な観念を表わす言葉として用いることができる。それはわれわれの前に、聖化の教理の人間的な面と呼びうるものを示す。

 ローマ人への手紙の一二章の中で、使徒はすでにクリスチャンである者たちに「あなたたちの体を生きたいけにえとしてささげなさい」と懇願している。使徒は何を言わんとしていたのか?「ささげる」ことは「服従する」ことである。この同じ言葉が六章一三、一六、一九節にも現れる。さて、服従するとはどういうことか?それは抵抗するのをやめることである。御霊によって生かされている人たちの中にも、神の御旨に対する抵抗が存在するおそれがあることを、自分自身の心を少しでも知っている信者なら否定できない。この抵抗は、信仰の行使を邪魔する主な障害物の一つである。ペニエルにおけるヤコブがそうだった。「その場所でひとりの人が夜明けまで彼と格闘した」。ヤコブに立ち向かった者、ヤコブが抵抗した者は誰だったのか?それは主御自身だったのであり、主が御手をヤコブの上に置かれたのである。

 神はヤコブを見捨てたことはなかったが、ヤコブはパダン・アラムに滞在している間、もっぱら自分の意志に従っていた。二十年前、彼は素晴らしい幻を受ける恵みにあずかった。その幻の中で、神は彼に、祈りによって御自身に近づく方法、神からの祝福を人にもたらす方法を啓示された。仮にヤコブがベテルで何も学ばなかったとしても、彼は少なくとも自分の保護者・供給者・案内である神を見た。そしてこの幻に促されて彼は一つの誓いを立てた。「神が私と共におられ、私の行くこの道で私を守り、食べるパンと着る着物を与え、安らかに父の家に帰らせてくださるなら、私は主を私の神とします」(創二八・二〇~二一)。しかし、この二十年間、彼はどうだったか?彼はラバンと共に滞在して、以前自分の兄や父と共に従った道――卑しい偽りの道――をそこでも辿ったのである。神は諸々の試練を彼に送り、この年月のあいだ彼と争って、彼の道の邪悪さをその記憶と良心に呼び覚ましておられた。しかし、ヤコブは依然として同じヤコブのままだった――押しのける者のままだった――ヘリくだることも砕かれることもなく、肉的な方針や自己追及に満ちていた。

 しかし、今や転機が訪れた。ヤコブの意志は砕かれなければならない。この争いにおいて、格闘するヤコブをすがりつくヤコブと混同してはならない。彼が格闘している限り――すなわち、抵抗している限り――この争いは続いた。しかし遂に抵抗は止んだ。

 「ヤコブに勝てないのを彼(主)が御覧になった時、彼はヤコブのもものつがいにさわった。すると、ヤコブのもものつがいが、彼がヤコブと格闘している間に外れた」(創三二・二五)。抵抗する力は今やすっかりなくなった。

 ヤコブの人生のこの一コマは、多くの神の子供の人生にもあてはまる。彼らに対する神の取り扱いの中に、何と多くの同様の転機を辿ることができることか!

 抵抗する力――それは自己の意志である――は砕かれ、すがりつく力――それは信仰である――が今や生じる。それゆえ、もものつがいが外れた瞬間、ヤコブはもはや格闘しないですがりつくのがわかる――もはや敵に抵抗する敵対者ではなく、「あなたが私を祝福して下さらない限り、私はあなたを去らせません」と熱心に乞う嘆願者となったのである。

 ヤコブが勝ったのはこの力によってだった。信仰の象徴としての、このすがりつく行為について、ホセアはこう言及している、「彼は力を尽くして神と争った。まことに、彼は御使いと争って勝ったが、泣いて彼に嘆願した」(ホセ一二・三)。

 これによりわれわれは次のことを学ぶ。勝利の信仰によってすがりつくことを願うなら、まず全き従順の霊の中で服従しなければならないのである。抵抗するのをやめない限り、すがりつくことはできない。


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