われわれの存在の各部分をその真の環境の中にもたらすことにより、御霊はその解放の御業を成就される。単なる義務にすぎない生活は、こうして自由と喜びの生活に造り変えられる。願望を部分的にしか清められていない人の事例を考えよう。神との平和をこの人は知っており理解している。しかし、自由に欠けているせいで、悲しいことにこの平和は傷ついてしまう。絶え間ない戦いや失敗の繰り返しにより、生活から喜びがすっかりなくなってしまう。このような人は、戦いはクリスチャン生活の特徴の一つである、と教わる。彼はさらに、神の御言葉から、自分は「信仰の良き戦いを戦う」よう召されていることを学ぶ。そして、十字架の兵士となるために、「神のすべての武具を身に着け」なければならないことを学ぶ。それゆえ、戦いは生じるべきものであることを、彼は聖書からはっきりと見る。

 しかしこのような人は、自分が経験している戦いはキリスト者の戦いであると、あまりにも性急に結論付けてしまうことが何と多いことか!彼は戦いと反逆を区別していない。意志が完全には明け渡されていないかもしれないのである。意志が何らかの悪い願望の影響下にあるかもしれないのである。

 このような状態にある魂には、真の平安や自由はない。意志が強くて、激情をうまく制御している事例も考えられる。あなたはどうだろうか?あなたは外面的には悪を避けて善に従っているが、喜びと自由のない生活を送っているのではないだろうか。ここに良心的に歩んでいる人がいる。それは確かである。しかしその人は、神の奉仕における真の喜びと自由を何も知らない。

 良心の力と意志の力が、多くの場合、激情を抑えておけるほど十分に強いため、外的違反を犯すことは大体ないかもしれない。また、大いなる熱心さと活発さで神のために働いているかもしれない。しかし、ああ、内側では何という圧迫と絶え間ない束縛を感じていることか!キリストの軛が絶えず圧迫しているように感じるのである。それは容易ではないし、キリストの荷は軽くもないことを見出すのである。

 さて、このような人がさらに豊かで深い聖霊の御業の力の下にもたらされたとしよう。神の真理がその人の精神を解放し、神の平安がその人の感情を解放したのと同じくらい、神の愛がその人の願望を聖めたとしよう。するとどうなるのか?彼の全生涯はすっかり変わってしまうのである。彼は善を愛し、その卓越性を知ることを喜び始める。それゆえ、それを行うのは容易であることを、彼は今や見出す。彼は神が命じられることが好きになり始める。自分の好きなことを行うのは決して難しくはない。その時、彼は自分の経験によって、「主の命令は苦痛ではありません」という御言葉の正しさを見出す。

 それゆえ、主の奉仕における自由と喜びの秘訣はここにある。


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