この同じ文脈の中で、もう一つのさらに素晴らしい節が聖ヨハネ福音書の一七章にある。主の執り成しの祈りの締めくくりにこう記されている。「そして私は彼らにあなたの御名を告げ知らせました。これからも告げ知らせましょう。それは、あなたが私を愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、また私も彼らのうちにあるためです」(ヨハ一七・二六)。ここでもまた、この愛は神御自身の愛に他ならないことが述べられている。神の愛の内住という真理が告げられているのである。「われわれに対する神の愛が、われわれの内にあるようになる時、それは磁鉄鉱が磁針に与える効力に似ている。自ら北極の方を向くようになるのである」(ランゲ)。ウェストコット博士はこう述べている。「このような完成が可能なのは、御子御自身が彼らの中におられるという事実のおかげである」。「信者たちを照らす神の愛は、汚れたものを照らすことはない。なぜなら、それは実際には、イエス御自身、彼らの内に生きておられるイエス、キリストと一体化されてその聖なるかたちを反射している彼らを照らすからである」(ゴデット)。

 同じように聖ヨハネの手紙の次の節も理解しなければならない。「見よ、何という愛を御父はわれわれに授けて下さったことか」(一ヨハ三・一)。「まるでこの意味が『見よ、何という愛を御父はわれわれに対して現わしてくださったことか』であるかのように、これらの節を読む人が何と多いことか。しかし、この御言葉が告げているのは、愛を示すことを超えたことである。神の愛の完全な力は、それ自身をわれわれに分け与えて、われわれのものになったのである。これはわれわれに対する無代価の賜物である。神の愛の特別な現われだけでなく、この愛そのものがわれわれに与えられているのである」(ハウプト)。あるいは、ある人の言によると、「神は御自身の愛をわれわれの所有物として下さったのである」(マイヤー)。「神は愛を示されただけでなく、愛そのものを与えて、われわれ自身のものにして下さった。完全にそれをわれわれに与えて下さったので、神の愛は今やわれわれのものである」(ランゲ)。ウェストコット博士はこの御言葉について、その聖ヨハネの手紙の注解の中で、こう述べている。「この愛は信者たちに示されているだけでなく、彼らに分け与えられている。神の愛が、言わば、彼らの中に注入されているのである。それは、それが彼ら自身のものとなって、彼らの中で神の命の源となるためである(ロマ一三・一〇)。それゆえ、この賜物のおかげで、彼らは神の愛のような愛で鼓舞される。そしてこれにより彼らは、神の性質に与る神の子供としての身分を真に主張できるのである」。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ