真の自由に関するわれわれの経験に関連して、三重の解放があることがわかる。精神、良心、意志のための自由である。

 精神のための自由。前述した自由の定義によると、人の知性や理解力にはそのための適切な環境が必要であることがわかる。自由であるためには、その真の領域の中になければならない。その領域とは真理である。創造された当初、人の精神は自由だった。人は真理の中に住んでいたからである。人を取り巻く道徳的・霊的環境の中には、人の精神と全く一致するものしかなかった。しかし、堕落以降、すべてが変わった。人の精神は、暗闇と無知と誤謬により、束縛の中にある。この状況にある人のことを使徒はこう描写している、「その理解力は暗くなり、その内なる無知と心の盲目さゆえに、神の命から遠く離れています」(エペ四・一八)。人はサタンの嘘を受け入れることによって堕落した。この行動により、人は真理を失った。真理を失ったので、人の精神は自由を失ったのである。

 キリストはわれわれを回復して自由にして下さる。それは、われわれを真理の中にもたらすことによってである。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にします」(ヨハ八・三二)。霊的に照らされる時、われわれはこのような自由を知り、理解する。それは夜明けのようである――光がわれわれの内なる存在に射し込み、われわれは自分が明るい領域の中にもたらされたことに気づく。自分の精神がその真の要素を見出したことを、われわれは知覚する。大気が鳥に対して持つ関係、水が魚に対して持つ関係と同じ関係を、神の真理はわれわれの精神に対して持っている。鳥がその翼を広げるように、われわれの能力や器官も拡張する。そして、自由と拡大というこの新しい要素を見出す。これはわれわれの魂を格別な喜びで満たす。

 しかし真理について述べる時、この句は単なる抽象的概念にすぎない、と理解してはならない。「私は真理である」と宣言された御方のことを思わなければならない。「その中に私たちは生き、動き、存在している」真理の生ける化身である御方のことを思わなければならない。救いをもたらす信仰はキリスト「の中へと信じ込む」ことを意味する。それは一つの領域から別の領域へ――暗闇から光へ――実際に移ることを意味する。それゆえ、われわれの精神の解放が実現されるのは、真理であるキリストにあってである。

 良心のための自由。束縛は無知だけでなく罪からも生じる。良心にのしかかる咎のせいで、魂は自由をすっかり奪われてしまう。もし罪の咎と汚れが良心の上にのしかかっているなら、発言の自由、聖なる大胆さ、神の御前における自由を持つのは不可能である。「私たちの心をすすがれて邪悪な良心から離れること」(ヘブ一〇・二二)が、「至聖所」の中に入るのに必要不可欠である。解放された良心は清められた良心である。これが実現される時、魂は平安な雰囲気の中に入る。良心がその自由を見出すのは、この平安の中でである。しかし「キリストの十字架の血」によってのみ、これを知ることができる。キリストの死の意義を理解する時、われわれを神との和解関係の中にもたらしてくれるものとしてそれを受け入れる時、われわれは平安の意味を知る。次に、自分は平安の御業の上に立っているだけでなく、われわれの平安である御方の中にもたらされたことを、われわれは理解する。神の平安という雰囲気の中で、良心は自由を見出す。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ