これはみな、次の点と緊密に関係している。

 振る舞いである。義務がしばしばとても困難であるだけでなくとても退屈でもある理由は、すぐにわかるだろう。その困難さや不快さは正しい状態の欠如から生じることが多いのである。

 「もしあなたたちが協力的であって従順であるなら」。この二つの事柄の順序に注意せよ。協力的であることは神の思いと一つである状態である。この調和がない時、交わりがやんで力がもはや流れていない時、振る舞いは駄目になる。

 振る舞いとは行動する意志に他ならない。神をあがめて、われわれを神の微笑みの中に保つ歩みは、神の意志と一つである意志の働きである。

 自由とは律法からの自由――許可証――ではなく、律法の中の自由である。

 律法を伴わない自由なるものがある。これが真の自由に関する天然の人の理想かもしれない。しかし「不法」は、神の判断によると、まさに罪の本質である。

 律法の下にある状態もある。しかし、これは束縛の状態、律法主義者の状態である。

 律法に対して取りうる第三の幸いな関係は、律法を造り込まれて自分の内に律法を持つことである。心という肉の板の上に神の御霊によって記してもらうことである。

 自由とは勝手に振る舞うことではないし、支配されることでもない。厳密には、自制している状態にあることでもない。それは神の支配の領域内にとどまって、自分の中及び周囲に命の霊を持つことである。

 その性質を伝達して下さる聖霊は、この状態をも生み出して下さる。そして、この状態からこの振る舞いを生み出して下さる。「御霊の実」(ガラ五・二二)からこれがわかる。第一に、われわれは自分の内に生み出される心の状態を持つ。すなわち、「愛、喜び、平安」である。内的・意識的祝福のこの状態が、あらゆる外的な実際的従順の前に、まず生み出されなければならない。聖霊が嘆くことなく――非難する者というよりはむしろ慰め主として――住んでおられる所では、これが味わうことを許される聖霊の実の最初の部分である。信者は多かれ少なかれ、神の愛の中に住むこと、神の喜びで満たされること、神の平安の中にとどまることがどういうことなのかを知ることになる。

 この状態が、他者に対する実際的振る舞いにおいてもたらすのは、「寛容、親切、善意」である。そのような振る舞いが、性格の建て上げにおいてもたらすのは、「誠実、柔和、自制」である。

 この最初の三者の中にあるのは内的気質である。二番目の三者の中にあるのはその外的現われ、最後の三者の中にあるのは個人的性格である。これは、神の御子のかたちへのわれわれの段階的造り変えにおける四番目の最後の要素を考察するよう、われわれを導く。


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