人は創造された当初、霊・魂・体から成っていた。聖書にはこう記されている、「主なる神は土の塵から人を形造り、その鼻の中に命の息を息吹かれた。すると、人は生ける魂となった」(創二・七)。

 話の順番としては、最初が体の構築である。人は土の塵から造られ、陶器師が土を形造るように、神の御手によって形造られた。神は「命の息」を息吹かれた。しかし、「神は人を土から造り、命の息を吹き込まれた。これを機械的に理解してはならない。すなわち、神はまず塵から人の姿を構築し、次に、御自分の命の息を人の姿に形造った土くれの中に吹き込むことによって、それを生きたものにされたかのように理解してはならない。(中略)神の全能の御業によって人は塵の中から生じた。この塵が創造的な全能の力によって人の姿を取った瞬間、それは神の命の息で満たされて生ける者に創造された。だから、体の方が魂よりも早かった、とは言えないのである」(デリチェ)。

 「人は生ける魂となった」。nephesh chay というこの同じ句は、より低級な動物を指すのにも用いられているが(創一・二〇、二一)、「これは、人の内にある生命原理の基盤と、低級な動物の内にあるそれとが同じであることを、必ずしも意味しない。この両者の違いは、創造の仕方の違いから生じたように思われる。獣は全能者が地に向かって創造的な命令を発せられたときに生じた――完全体で生じたのであり、皆が生ける魂だった。しかし、人が命を受けたのは、息を吹き込むという神の独特な御業によった――神格のパースン全体からの伝達によったのである。実際には、人はそれによって低級な動物のように生ける魂に構成された。しかし、その生命原理は人の内に、低級な動物にはない人格を与えたのである」(デリチェ)。

 人はわれわれが魂と称している部分を受けただけでなく、霊と称されている部分も受けた。人は低級動物のような単なる被造物の一個体ではない。人は人格を持つ者になったのである。この人格は二つの性質、動物的性質と霊的性質とが邂逅する地点である。それゆえ、人は三つの部分――霊・魂・体――から成っていた。人格を持つ魂の中で結合している体と霊――これが神の御手から生じた時の人に関する真の人間観である。


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