天然の命の法則を知らない人は、「植物は、活動と活発な成長の新鮮さとを示している間、それを死と衰退の状態にもたらそうとしているこれらの力の影響から完全に自由である」と結論するかもしれない。言い換えると、「植物が命の活力の中にある限り、死への傾向性はまったく失われて存在しない――その時作用している力は、実際には、命の力だけである」と結論するかもしれない。これがこの問題に関する一般的見解かもしれない。われわれの霊の状態に関するこの問題では、同じ間違いを犯さないようにしようではないか。

 今生で悪の存在から完全に解放されることは決してない。罪と死への傾向性は絶えずわれわれと共にある。

 植物に言えることが、最も聖い聖徒にも言える。この決定的原理は一時のあいだ差し止められているにすぎず、この天然の傾向性はたちまち明らかになる。内住の命であるキリストから離れるなら、最も進んだ信者といえども霊的衰退の状態の中に直ちに逆戻りしてしまう。なぜなら、罪の法則に抵抗するものがもはやないからである。

 しかし、他方において、われわれは罪になびきやすいだけでなく罪を犯しがちであるという事実――われわれには最後まで下向きの力がかかっている事実――を認識する一方で、キリストはサタンと死よりも強いことを忘れないようにしようではないか。御自身の死により、キリストはわれわれを罪の刑罰、働き、汚れ、弱める結果、習慣から分離して下さった。そして同じように「御自身の命の中で」、御自身の内住の命の中で、キリストは罪の法則からわれわれを解放して下さる。命の霊の法則により、キリストは死に向かう天然の傾向性に抵抗して下さるので、罪の圧政と重圧は共になくなる。

 キリストの死の目的は、われわれを悪から分離することである。ここで考察した罪のこの五つの面において、解放はイエス・キリストの死を通して臨むことを、われわれは示そうと努めてきた。

 しかし罪のこの最後の面において、聖書がわれわれの現在の特権としてわれわれの前に置いているのは、それからの完全な分離や根絶ではなく、反作用である。それゆえ、ここでわれわれが導かれるのは、キリストの死ではなく、キリストの命、その復活の命である。生けるキリストの法則――復活したキリストとの活き活きとした交わりの何たるかを知る時、われわれがその中に導かれる法則――がわれわれを解放して、罪と死の法則から解放された状態にわれわれを保つのである。


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