光が暗い部屋の中にもたらされると、暗闇はただちに消え去る。しかし、暗闇への傾向性は残る。その部屋を明るい状態に保つことができる唯一の方法は、この傾向性に絶えず対抗することである。この部屋を照らすのは「光線の絶えざる流れである。継続的に降り注ぐこの光線の一本一本は、この部屋を最初に照らした光と異なるものではない」。

 だから、これは状況ではなく、維持されている状態であって、完全な継続的依存を示す適切な絵図なのである。

 もしそれがキリストが魂の中に生じさせた清い状況だったなら、われわれはそれをキリストの内住という現在の働きとは別に存在するものとして思い描けただろう。そのような観念は必然的に何につながるだろうか?神によってわれわれに対する「聖別」とされた御方よりも、むしろ清い状況に専念する習慣につながる。続いて、自然な結果として、常に現存している悪への傾向性である「罪と死の法則」に対抗するために絶えずキリストに拠り頼む必要はない、という幻想が生じる。

 ドラモンド教授はこう記している。「自然は命に満ちている、とわれわれは想像しがちである。実際には、自然は死で満ちている。植物にとって生きることは自然なことである、とは言えない。その性質をよく調べると、その天然的傾向性は死ぬことであることを認めないわけにはいかない。死ぬことからそれが守られているのは、単なる一時的な分与によってであり、この分与がそれに一時のあいだ諸元素を支配する力を与える――短い期間、雨、陽光、空気を利用する力を与える。この一時的分与が少しの間やむなら、その真の性質が現れる。自然を征服する代わりに、征服されてしまうのである。その成長と美に資するように思われた諸々の事柄がまさに、今やそれに反するものに転じて、それを衰退・死滅させる。それを温めた太陽がそれを萎れさせ、それを養った空気や雨がそれを腐敗させる。命と関係しているこれらの力がまさに、その真の性質が現れる時、実は死に資するものであることがわかるのである。

 植物界全体に言えるこの法則は、動物や人にもあてはまる。空気は命ではなく、腐敗である――文字通り腐敗であって、命が衰退している時、腐敗を締め出す唯一の方法は空気を除くことである。命は、これらの破壊的力が一時のあいだ差し止められている状態にすぎない。そしてこれが、実際のところ、われわれが今まで受け取ってきた中で最も正確な命の定義である。すなわち、命とは『死に抵抗する機能の総計』なのである。

 霊の命も、同様に、罪に抵抗する機能の総計である。魂を取り巻く環境は、この世の日毎の試練、境遇、誘惑である。諸元素を利用する力を植物に与える唯一のものが命であり、命がなければ諸元素が植物を利用するのと同じように、誘惑や試練を利用する力を魂に与える唯一のものは霊の命であり、霊の命がなければ誘惑や試練が魂を滅ぼす」(「霊の世界における自然法則」)。

 ここに示されている偉大な原理を理解することが、この問題全体に対する鍵を握ることである。ここにこの偉大な奥義の答がある。神の聖霊が内住している所に、どうして罪への傾向性が存在しうるのか?抵抗の法則によってである。「キリストイエスにある命の霊の法則が罪と死の法則から私を解放しました」(ローマ八・二)。「命の霊の法則」が働いていること、そしてそれが常に必要であるこの事実こそ、罪と死の法則は根絶しておらず、ただ差し止められているにすぎないことの証拠である。言い換えると、罪への傾向性は依然として存在しているのである。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ