結論

 そこで、最初の問いで終わることにします。「誰に主の御腕は現されるのか?」。神が自分と共にいて下さって、御力と助けと保護と解放と支援をもって自分に味方して下さることに、少しでも関心を寄せているなら、あるいはそれを少しでも願っているなら、これがその道です。イザヤ五十三章のこの問いに対する答えは、この同じ章の中に見つかります。主の御腕は、十字架に行って十字架を忍ばれたこの御方に対して、十字架ですべてを手放された御方に対して、十字架で恥と不名誉の中に下って行かれた御方に対して、十字架で自分のものをすべて失われた御方に対して現されます。この御方に対して主の御腕は現されるのです。そして、主の御腕はこの御方と共にこの道を行くすべての者に対して現されます。歴史はその最大の証拠です。歴史を通して、神の御腕は御子のために現されてきましたし、これからもずっとそうでしょう。また、神の御腕は御子と共にいる十字架に付けられた男女――十字架に付けられた諸教会(複数形)――十字架に付けられた教会(単数)のためにも現されてきましたし、これからもずっとそうでしょう。

 私たちがとても好んでいる一つの節があります、「主の目は全地をあまねく行き巡り、御自身に対して心が完全な者のために、力強く御自身を示される」(二歴代志十六・九)。十字架は道具であって、私たちの心が主に対して完全であるかどうか、私たちに何らかの個人的関心や、この世的関心や、二心がないかどうかを試します。「完全(perfect)」という言葉は「尽くしていること(complete)」「すべてを含むこと(whole)」を意味します。主は、自分に対して心を尽くしている者のために、力強くご自分を示されます。十字架上の主イエス以上に、神のために心を完全に尽くしている人の姿が一体どこに見つかるでしょう?


「主の御腕」 完


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