御霊によって歩くことは律法を守ることである

 ですから、恵みは次のように言うことはありません、「あなたは律法の下にはいないのですから、安息日を守る必要はありません」。安息日はある原則の具体化であることを、私たちは理解しなければなりません。安息日は日のことではなく――原則なのです。この原則に基づいて、神は被造物を構築されました。どの領域にも、休息の期間がなければなりません。それは何か新しいものをもたらすためです。自然界でも、何か新しいもののために備えをするために、休息の期間がなければなりません。私たちの体でも、何か新しいものが生じるためには、休息の期間がなければなりません。霊的事柄や霊的奉仕にも、休息の期間がなければなりません。この休息の期間の間に、主は語って、私たちに何か新しいものを与えることができます――これが安息日の原則です。しかし、この点に関して、主は大いに恵み深く、なおも多くの人が週に一日休めるようにして下さいました。この休日は他の事柄を手放すためのものであり、霊的刷新のために、その日を主のために聖なるものに保たなければなりません。

 ですから、大切なのは外側の形式ではなく原則であることがわかります。この原則を変えるものはなにもありません。神の律法の諸原則は永続します。廃止されたり、取り除かれたり、無効にされることは決してありません――依然として有効です。イエスはこの法体系の背後に回り込み、その各部が示す原則を指摘されます。彼は言われました、「今やあなたたちは、『あなたは……すべきである』『あなたは……すべきではない』という外側の体系によって支配されるべきではなく、これらの事柄を守られる聖霊によって治められなければなりません。聖霊は聖なる霊です。ですから、御霊の中に生きている人は、聖くない事をいつまでも常習的に行うことはありませんし、聖くない者になることもありません。聖霊は愛の霊です。御霊の中に生きている人は、愛の御霊以外の何ものも持つことはありませんし、愛の律法を守ることにしくじったり、愛を破ることもありません。聖霊は真理の霊です。御霊の中に生きている人、御霊によって生きている人は、いかなる意味においても不正直ではありません――不正直とは、本当ではないことを言うことだけではありません。生活の中に存在する、絶対的に真実で、実際で、純粋で、誠実で、透明でないものは何であれ、不正直なのです。男であれ女であれ、御霊の中に生きている人は真実な男女であり、本物です。聖霊は知恵の霊です。御霊の中に生きている人は、自分の生活を治める神の知恵を得ます」。

 ここに示されているのは、十字架による、御霊の中にある生活です。また、十字架に付けられた男や、十字架につけられた女――あるいは会衆や教会――を示しています。彼らは御霊によって歩み、生きます。そのような者たちに対して主の御腕が現されるのです。私たちは神の力を知ることを望むでしょうか――神が私たちと共におられること、神が私たちの味方になってくださることを望むでしょうか?もし望むなら、次のようでなければなりません――すなわち、十字架を私たちの立場とし、御霊を私たちの命として、神の子供たちとして歩み、生きなければならないのです。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ