神の諸原則は変わることがない

 律法が変わったわけではないことがわかります。この点に関して大きな間違いがありました。十字架に付けられたキリストは律法を変更するわけではありません。キリストご自身、律法を変えることはありません。聖霊は律法を変えることはありません。律法が変わったのではなく――人が変わったのです。「あなたは律法の下にいないので、殺人を犯してもかまいません。好きにしなさい。今や盗むこともできます、あなたは律法の下にいないのですから。今や姦淫を犯してもかまいません、あなたは律法の下にいないのですから。今やむさぼってもかまいません、あなたは律法の下にはいないのですから」と恵みが言うことはありません。恵みはこのようなことを言うことはありません。このようにほのめかされるなら、あなたはゾッとするでしょう。

 しかし、神の原則のあらゆる点についてこれを行い続けて下さい――そして、モーセの律法は神の諸原則の具体化に他ならないことを思い出して下さい。さて、主イエスはモーセの律法を取り上げて言われました、「殺してはならない、とモーセは言いました。しかし、私はあなたたちに言います。もしあなたが自分の兄弟に対して怒るなら、あなたには裁かれるおそれが大いにあります」(マタイ五・二十一、二十二)。使徒ヨハネはさらにこれを推し進めて言います、「もしあなたが自分の兄弟を憎むなら、あなたは人殺しです。もしあなたが自分の兄弟を憎むなら、たとえ殺すために何もしていなかったとしても、あなたは心の中ですでに殺人を犯しているのです」(一ヨハネ三・十五)。主イエスの御言葉を再び引用しましょう、「姦淫を犯してはならない、とモーセは言いました。しかし、私はあなたたちに言います。あなたが悪しき意図を抱いて見つめるなら、あなたはこの戒めを破ったことになるのです」(マタイ五・二十七、二十八)。これが事の原則であることがわかります。これはひどく心を探るものです。

 そうです、キリストも、聖霊も、十字架も、律法の性質や律法の原則を変えることはありません――変わったのは人なのです。こうして律法は私たちから除かれたのです。なぜなら、私たちは変えられた民だからです。律法を守られる御霊が、今や私たちの内におられます。もし私たちが御霊によって、御霊の中を歩むなら、私たちは決して肉の欲を満たすことはありません(ガラテヤ五・十六、二十五)。これは人が変わる問題なのです。


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