(2)十字架の意義

 彼はこの結末、この恥ずべき結末に達し、解放を求めて叫びました、「ああ、私は何と哀れな人でしょう!誰が私をこの死の体から解放してくれるのでしょう?これほど長い時間の間、何ものも、誰も、私のために解放を成し遂げてくれなかったのです!」――次に、彼は主イエスを見いだしました。すると、この途方もない事柄の総計がまったく行い得なかったことを、主イエスは彼のためにすべて行われたのです。彼は十字架を見いだして言いました、「私はキリストと共に十字架に付けられました。にもかかわらず私が生きているのは、もはや私ではなく、キリストが私の内に生きておられるのです」(ガラテヤ二・二十)。「死」の思いから「命」の思いへの変化がわかります。彼は生かされた死人であり、命を得ました。彼はまったく新しい始まり、新しい人生、新しい経験を得た人です。それらは主イエスの十字架から生じたものだったのです。

 さらに、彼は聖霊を見いだしました。彼はユダヤ教に完全に自分自身をささげていましたが、そのユダヤ教の巨大な体系が決して行いえなかったことを、聖霊は彼のために行われました。これが、この手紙の中で彼がこんなにも重要な地位を聖霊に与えている理由です。これが、この証し全体を支配する路線として、十字架と聖霊が一緒に導入されている理由です。聖霊は、十字架の土台に基づいて、この経験全体を逆転し、この状況全体を変えてしまったのです。

(3)キリストの意義

 次に――ここで私たちはもう一つの支配的路線と共にこの手紙を読み通すことができます――彼はキリストの真の意義を見いだしました。この手紙は十分から十五分くらいで読むことができますが、この短い手紙の中にキリストという名が四十三回出てきます。これ自体意義深いことです。実に、この手紙が一体何についての手紙であるのかを、この事実は私たちに大声で告げているのです。実際に、キリストの真の意義の何たるかを、パウロはここで示そうとしています。キリストの真の意義とは何でしょう?それはこれです。すなわち、この体系は――彼ご自身によって――完全に成就されたということです。律法やあらゆる規則からなるこの巨大な体系は、キリストにおいて、キリストにより、十字架において成就されたのです。あらゆる義が成就されました。イエスがバプテスマを受けるためにヨルダン川に来られた時、それは彼の十字架の死を予表するものでしたが、彼は言われました、「今はこうさせて下さい。このようにしてあらゆる義を成就することは私たちにふさわしいことだからです」(マタイ三・十五)。これが懸案の問題であり、それは主イエスの十字架によってすべて成就されました。十字架につけられたキリストがそれを完全に成就したのです。旧約聖書はキリストにより成就されました。これがイザヤ書についてこれまで述べてきたことであり、イザヤ書に言えることは旧約聖書全体にもあてはまります。旧約聖書がどのようにキリストによって成就されたのか、ここでは示すことはできませんが、これがパウロが述べていることです。「私はキリストと共に十字架につけられました。私はキリストと結合されているので、それを成就することや神のあらゆる要求については忘れることができます。そして、御霊によって、私はイエスであるあらゆる恩恵にあずかるのです」。


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