キリスト教の質を劣化させるものに対するパウロの武器
(1)パウロの個人的経歴

 さて第一に――この手紙からわかるように、これはとても強力な武器です――彼は自分自身の個人的経歴、自分自身の経験という武器を持ち込みます。彼はこの手紙で自分のことについて述べていますが、これ以上に自分のことについて述べている箇所は、彼の書き物全体の中でも――おそらくコリント人への第二の手紙を除いて――ほとんどありません。彼は自分自身の経歴、自分自身の経験を持ち込みます。これは彼の見事な手腕の一つです。彼はそれにうってつけの人だったのです!タルソのサウロをご覧なさい。彼の経歴を見て下さい――自分自身について私たちに何と言っているか見て下さい。このユダヤ教の体系全体を彼ほど徹底的に試した人がかつていたでしょうか?彼はそれを遵守することや、ユダヤ教のあらゆる儀式を行うことに、徹底的に身をささげました。彼の話によると、実に、彼は同年代の多くの者たちよりもこれに関して遥かに熱心だったのです。「私と同年代の多くの者にまさってユダヤ教に精通し(中略)先祖から受け継いだ伝統に対して遥かに熱心でした」(ガラテヤ一・十四)。この人は、この体系、その祭典、儀式、型、絵図、象徴、形式と共に、全行程を行きました。彼はその道を進み通したのです。

 それは彼にとってどんな益があったのでしょう?それは彼をどこに導いたのでしょう?彼はそれを極めて徹底的に、極めて勤勉に、極めて誠実に守り通しました。なぜなら、タルソのサウロについて述べるべき一つのことは、「彼は中途半端を信念とする人ではなかった」ということだからです――彼は真剣な人であり、自分の行いに対して真摯な人だったのです。彼は言います、「ナザレのイエスの名に反対して多くのことを行わなければならないと、私は本当に思っていました」「行わなければならないと思っていました」(使徒二十六・九)。それはこの聡明な若いパリサイ人にとって、良心の問題だったのです。この若者はユダヤ教の階段をかなり高くまで登りました。しかし、彼はどこに辿り着いたのでしょう?彼自身の叫びが記されています。彼は言います、「私はここに辿り着いたのです!」――「ああ、私は何と哀れな人でしょう!誰が私をこの死の体から解放してくれるのでしょう?」(ローマ七・二十四)。あなたなら、これほど低くなることはできなかったのではないでしょうか?何であれ、これが最後の言葉です。自分自身の経験、自分自身の経歴において、これはすっかり失敗に終わりました。事実上、彼は言います、「それが私を導いたのはここです。それが私のためにしてくれたのは、ただこれだけです。他の誰に対しても、たとえその人がそれに対してどれほど熱心だったとしても、それはこれ以上のことはしてくれません」。


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