聖書朗読:イザヤ六十一・一~六十二・一a

 主イエスの十字架には多くの面にわたる成果があり、今、そのさらなる面について見ることにします。このイザヤ書六十一章の最初の三節は大いに豊かな節であり、私たちの主イエスご自身がこれを引用されたことを、私たちは覚えています。主のバプテスマの後、天が開かれ、御霊が下って主の上にとどまりました。それは彼が僕として油塗られた大いなる瞬間でした。この方は、バプテスマによって象徴される十字架の道を通られたばかりでした。今、油塗られて、彼は荒野で敵と遭遇し、あらゆる点で敵を完全に打ち破ります。次に、彼は御霊の力を帯びて荒野から戻り、故郷であるナザレに来られます。

 安息日に彼がシナゴーグ(会堂)に入ると、聖書が彼に手渡されました。彼はイザヤの預言のこの箇所を開き、この節を読まれました。そして、この節を読むと、彼は聖書を会堂の管理人に戻して、お座りになりました。(これは私たちの慣習とは正反対であり、何か言うべきことがあることを示しています。何か言うべきことがある時、私たちは通常立ち上がります。しかし、シナゴーグでは、何か言うことがある時、座ったのです。)この節は、その場に集まった人々「全員の目が彼を見つめた」と述べています――なぜなら、彼がお座りになったからです。彼には何か言うべきことがあることを、人々は見ました。「そして、彼は人々にこう語られた、『今日、あなたたちが耳にしたこの御言葉は成就されました』」(ルカ四・十四~二十一)。

 このように、主イエスはイザヤ書のこの箇所をご自分にあてはめておられたことがわかります。これまでずっと、こうした数々の預言はイスラエルの歴史と関係しているだけでなく、主イエスとこの経綸にも関係していることを見てきました。今、この点に来ることにします。

かしらに注がれた油はその肢体に流れ下る

 しかし、最初に次のことに注意して下さい。この油はまず「主の僕」の上にとどまります。なぜなら、「主の僕」がイザヤ書におけるキリストの称号だからです。「見よ、わが僕」(イザヤ四十二・一)――もちろん、この油は彼の上にとどまり、もっぱらおもにかしらである彼と関係しています。しかし、その後ただちに、預言者の言葉使いが突然変わります。預言者は「彼らは」「彼らを」、「あなたたち」「あなたたちは」「あなたたちの」という言葉を使い始めるのです。主の僕の油塗りに関するこの宣言の後、御言葉はこう述べています、「そして彼らはいにしえの荒れた所を建て直し、さきに荒れ廃れた所を興し、荒れた町々を修復し、世々すたれた所を再び建てる」(六十一・四)。神の民はこの油塗りの価値を尊重し、その恩恵にあずかります。まるで、かしらである彼の上に注がれた油が流れ下って、彼に属するすべての者たち――キリストのからだの肢体たち――を油塗ったかのようです。

 これが次の章の一節を読んだ理由です。「私はシオンのために黙せず……」。前の章で述べたように、イザヤ書のこの後の方の預言では、シオンについて多く述べられています――この油の恩恵はシオンの中に見いだされ、シオンはこうしたあらゆる恩恵を受け継ぎます。ご存じのように、シオンは教会を表す旧約の型です。前の章ではシオンの光について述べました。「起きよ、光を放て。あなたの光が昇ったから」(六十・一)――これは回復された証しです。この六十一章では、シオンの命とシオンの自由に移ります。


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